奥羽列藩同盟の結成
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歎願書却下と仙台藩士らが奥羽鎮撫総督府下参謀世良修蔵を暗殺したことで、奥羽諸藩は奥羽鎮撫総督府を交渉相手とすることは出来なくなり、鎮撫総督府との決別が決定的となった。 そこで、奥羽諸藩連名で朝廷―太政官に直接、建白書を提出することになり、5月3日に奥羽列藩同盟が成立した。 ・奥羽列藩同盟参加藩(25藩) 仙台・米沢・盛岡・秋田・弘前・二本松・守山・新庄・八戸・棚倉・中村・三春・山形・平・松前・福島・本庄・泉・亀田・湯長谷・下手渡・矢島・一ノ関・上山・天童 この後、長岡藩他の越後諸藩(6藩)が参加し、会津・庄内を含めて合計33藩の奥羽越列藩同盟となる。 ・建白書、盟約書の内容 同盟は決して鎮撫総督府と全面的に対立するものではなく、総督府内の薩長参謀およびその兵と対立し、その排除を望んでいるもので、同盟と総督府のつながりを示すことによって、同盟の合法性・正統性を主張するものであった。 太政官への提出は宮島誠一郎に委ねられたが、なかなか提出機会が得られず、8月10日になってやっと土佐藩山内容堂経由で岩倉具視の目に触れるところとなったが、時機すでに遅かった。
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奥羽列藩同盟の結成
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「奥羽鎮撫総督府」の記事における「奥羽列藩同盟の結成」の解説
仙台藩士らが世良を暗殺したことで、奥羽諸藩は奥羽鎮撫総督府を交渉相手とすることは出来なくなり、鎮撫総督府との決別が決定的となった。 そこで、奥羽諸藩連名で朝廷―太政官に直接、建白書を提出することになり、5月3日に奥羽列藩同盟が成立した。建白書・盟約書の内容は同盟は決して鎮撫総督府と全面的に対立するものではなく、総督府内の薩長参謀およびその兵と対立し、その排除を望んでいるもので、同盟と総督府のつながりを示すことによって、同盟の合法性・正統性を主張するものであった。太政官への提出は宮島誠一郎に委ねられたが、なかなか提出機会が得られず、8月10日になってやっと土佐藩山内容堂経由で岩倉具視の目に触れるところとなったが、時機すでに遅かった。
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