海道の蝦夷討伐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 06:07 UTC 版)
聖武朝初頭の神亀元年(724年)3月に海道の蝦夷が反乱を起こし、陸奥大掾・佐伯児屋麻呂を殺害する。朝廷は式部卿・藤原宇合を持節大将軍に、宮内大輔の高橋安麻呂を副将軍に任じ、判官8人・主典8人を編成して、海道の蝦夷を征討させた。この遠征軍は11月に近江国に派遣された内舎人により慰労され、同月帰還。翌神亀2年(725年)閏正月に聖武天皇は詔を出し、蝦夷征討に従事した1,696人に勲位を授け、難波は後部王起・紀牟良自・坂本宇頭麻佐・丸子大国らを含む9人とともに勳六等・賜田2町を与えられた(この時の位階は正八位上)。
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