ロカマドゥール巡礼とは? わかりやすく解説

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ロカマドゥール巡礼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 14:24 UTC 版)

ロカマドゥール」の記事における「ロカマドゥール巡礼」の解説

巡礼最終段階は、自らの膝をついて聖なるシテ(7箇所教会19世紀修復されたその他12箇所礼拝堂)へ至る216段の階段上がることである。頂上にたどり着いた聖域内部達し巡礼者たちが常に様々なオブジェ奉納してきたのを目にする。最もよく知られているのは、罪人が自らに巻きつけられていた鎖から解放された後、鎖を奉納したことになぞらえ奉納することである。また、19世紀から20世紀には救出され船乗り感謝の意表し大理石彫られ彫像奉納したりした。巡礼者を表す記章はスポルテル(sportelle)である。 聖アマドゥールのなきがら掲示よりもはるかに多く奇跡もたらしたのは、『黒い聖母の風』であろう船乗りが海で救援求める鐘を、チリンチリン鳴らしたという奇跡の鐘の合図である。船乗り業界ロカマドゥール聖母対す認識が深まると、フィニステールケベックにある数箇所礼拝堂ロカマドゥール聖母崇敬獲得するまでになった教会また、ロカマドゥール向かい苦行聖体秘蹟を受ける人々対し永久的贖宥状与えることにして、巡礼奨励した。最も有名なのは規模大きなパルドンで、聖体祭のサン・ジャン・バティストの日(7月24日)に行われる。大パルドンの日に贖宥状与えられおよそ3万人群集ロカマドゥール集まった巡礼巡礼者詳細に加え1172年以降記され写本ロカマドゥール聖母奇跡の書』は、中世日常生活における多く情報記されている。中世精神性における奇跡の意味として、医学要素スピリチュアル要素マリア教義歴史的興味などが報告されている。上記のものには、ベアルンガストン5世の妃であったアラゴン王サンチャ課され試練などが含まれるロカマドゥール聖母奇跡の書には新版があり、歴史家レジーヌ・ペルヌーの序文と、ジャン・ロカシェール(トゥールーズカトリック大学名誉教授)によって注釈つけられた。 教会裁判所、そして時に民事裁判所もしばしば罪人にロカマドゥール巡礼を課した。それは大きな苦行だった。特に異端カタリ派神の母憎んでいるとみなされていたからだ。しかし、巡礼が常に信仰篤い行動を行う目的ロカマドゥールにやってきたのではない。領主都市のコンシュルといった者たちは、条約締結した憲章署名するなど重要な決定下す際には、聖母保護下に自分身を置くことを好んだロカマドゥールは、かつては全身が銀で覆われていたという黒い聖母いただき聖母対する非常に古い巡礼歴史を持つ。黒い聖母その後ル・ピュイ聖母トゥールーズのドーラドの聖母のように、マント着せられるうになる。この聖母像聖域てっぺんにある礼拝堂1つ収められている。 他には、一説によると、大天使ミシェルによって運ばれローランの剣、デュランダルもこの地にある。

※この「ロカマドゥール巡礼」の解説は、「ロカマドゥール」の解説の一部です。
「ロカマドゥール巡礼」を含む「ロカマドゥール」の記事については、「ロカマドゥール」の概要を参照ください。

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