ロカビリー・ブーム
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第二次世界大戦以後、1945年から1950年代前半にかけて、進駐軍を通じてアメリカのポピュラー音楽が日本に持ち込まれた。1955年にアメリカで大ヒットしたビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は同年にはダーク・ダックスと江利チエミによってそれぞれ別の日本語訳詞によってカバーされ、日本語での最初のロックンロール・レコードとも言われる。1956年のエルビス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」は小坂一也とワゴン・マスターズによってカバーされ、その年のNHK紅白歌合戦に出場するまでになった。1958年にはミッキー・カーチス、平尾昌章、山下敬二郎が「ロカビリー三人男」として売り出され、1958年2月には第1回日劇ウエスタンカーニバルが開催されるなどロカビリー人気は本格化していった。しかし1959年にはカバー曲よりもオリジナル曲がヒットするようになり、また楽曲の歌謡曲化によりロカビリー・ブームは沈静化していった。しかし、ロカビリー風は一部で残り、神奈川県横浜市で1972年結成キャロル (バンド)や、1979年結成横浜銀蝿は1980年代のバイクブームの波をうけ活躍した。
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ロカビリー・ブーム
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「ヤンキー・ロックンロール」の記事における「ロカビリー・ブーム」の解説
第二次世界大戦以後、1945年から1950年代前半にかけて、進駐軍を通じてアメリカのポピュラー音楽が日本に持ち込まれた。 1955年にアメリカで大ヒットしたビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は、同年にはダーク・ダックスと江利チエミによってそれぞれ別の日本語訳詞によってカバーされ、日本語での最初のロックンロール・レコードとも言われる。
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