ロカビリー・ブームとは? わかりやすく解説

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ロカビリー・ブーム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 07:15 UTC 版)

日本のロック」の記事における「ロカビリー・ブーム」の解説

第二次世界大戦以後1945年から1950年前半にかけて、進駐軍通じてアメリカポピュラー音楽日本持ち込まれた。1955年アメリカで大ヒットしたビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は同年にはダーク・ダックス江利チエミによってそれぞれ別の日本語訳詞によってカバーされ日本語での最初のロックンロール・レコードとも言われる1956年エルビス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」は小坂一也とワゴン・マスターズによってカバーされ、その年のNHK紅白歌合戦出場するまでになった1958年にはミッキー・カーチス平尾昌章山下敬二郎が「ロカビリー三人男」として売り出され1958年2月には第1回日劇ウエスタンカーニバル開催されるなどロカビリー人気本格化ていった。しかし1959年にはカバー曲よりもオリジナル曲ヒットするようになり、また楽曲歌謡曲化によりロカビリー・ブームは沈静化ていった。しかし、ロカビリー風は一部残り神奈川県横浜市1972年結成キャロル (バンド)や、1979年結成横浜銀蝿1980年代バイクブームの波をうけ活躍した

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ロカビリー・ブーム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 15:40 UTC 版)

ヤンキー・ロックンロール」の記事における「ロカビリー・ブーム」の解説

第二次世界大戦以後1945年から1950年前半にかけて、進駐軍通じてアメリカポピュラー音楽日本持ち込まれた。 1955年アメリカで大ヒットしたビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は、同年にはダーク・ダックス江利チエミによってそれぞれ別の日本語訳詞によってカバーされ日本語での最初のロックンロール・レコードとも言われる

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