レイニャ・ドニャ・レオノール美術館
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「ベージャ」の記事における「レイニャ・ドニャ・レオノール美術館」の解説
この地方美術館は1927年に設立された。かつてのノッサ・セニョーラ・ダ・コンセイサォン女子修道院(Convento de Nossa Senhora da Conceição)が所有していた膨大な美術品を収めたものである。このフランチェスコ会派修道院は、1459年にヴィゼウ公フェルナンド(ドゥアルテ1世の次男)とベージャ公によって、ベージャ公邸宅の隣に献納された。建設は1509年まで続いた。建物にそって格子細工の台輪が走る、後期ゴシック建築の印象的な建物である。この優雅な台輪は、仮に一部に初期マヌエル様式(Manueline)の影響があるとしても、バターリャ修道院の台輪に似ている。西ファサードの入り口上部にはアジメス窓が見られる(マヌエル様式とムーア人様式のムリオン窓)。この窓は尼僧たちの部屋にあり、元々はベージャ公の打ち捨てられた邸宅のものである。入り口扉は葱花線アーチ(Ogee arch)の下にはめ込まれている。四角形の鐘楼とこぶしばな塔のある尖塔の混合物がある。修道院建物は国の文化財に指定されている。 エントランス・ホールは、贅沢な金箔飾りの施されたバロック様式の礼拝堂へつながる。礼拝堂は、半円状ヴォールトの下の本堂一つからなる。3つの祭壇(1つは福音者ヨハネに捧げられた17世紀のもの、残り2つは聖クリストフォロスと聖ベントゥスに捧げられた18世紀のもの)は金箔張り木工細工で装飾されている。4つ目の祭壇は、洗礼者ヨハネに捧げられたもので、1695年に、ジョゼ・ロマーリョの手によりフィレンツェのモザイク画で装飾された。 壁には1741年からの3点の宗教画アズレージョがあり、洗礼者ヨハネの生涯を描いたものである。 食堂とクラウストロ(claustro)は見事なアズレージョで装飾されている。これらの一部はムーア支配時代からのもので、残りは16世紀から18世紀のものである。 福音者ヨハネのグアルドラから、マヌエル様式の入り口を通り抜けて院内会議所へ入れる。この四角い部屋のリブ状ヴォールトは1727年の修繕時期に、画家の手直しがされて一部に狂いが生じた。壁は、アラブ=ヒスパニック風アズレージョで、幾何学紋様や野菜装飾で飾られている。アズレージョ上部は一部半円状で、宗教テーマの絵画がある。これらは後世の手直しで狂いが生じている。描かれているのは、洗礼者ヨハネ、福音者ヨハネ、聖クリストフォロス、アッシジのフランチェスコ、アッシジのキアラらの絵である。 美術館には、15世紀から18世紀のフランドル、スペイン、ポルトガル絵画の重要な作品が収められている。 美術館建物には、初代女子修道院長ドニャ・ウガンダと、ヴィゼウ公フェルナンドと公爵夫人ベアトリス・デ・アヴィシュ(ジョアン1世の孫娘)の墓碑がある。 フェルナンド・ヌネス・リベイロの考古学収集品が1987年に寄贈された。40年間の考古学調査で集めたもので、上階に展示されている。これらは西ゴートとローマ時代の工芸品、イベリア語の古い記載のある青銅器時代の墓石、鉄器時代からの石碑である。 収蔵品の中には、1541年からの中国陶器の興味深い断片Escudela de Pero de Fariaがある。
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