ヤクルトの日本一により記録された事項
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 15:12 UTC 版)
「2021年の日本シリーズ」の記事における「ヤクルトの日本一により記録された事項」の解説
ヤクルトは20年ぶり6回目の日本一。 セ・リーグの球団が日本一となったのは2012年の読売ジャイアンツ以来9年ぶりであり、令和では初となる。2013年に東北楽天ゴールデンイーグルスが日本一になって以降、2020年まで続いていたパ・リーグの連覇が8で止まった。 過去ヤクルトとオリックス(前身の阪急・傍系球団の近鉄を含む)との対戦は全てヤクルトが勝利していたが、今回もヤクルトの勝利に終わった。 前年に福岡ソフトバンクホークスが日本一となったことにより、パ・リーグ36勝、セ・リーグ35勝と70年ぶりにパ・リーグが勝ち越していたが、ヤクルトの日本一により再び36勝36敗のタイとなった。 ヤクルトが対戦相手主催試合で日本一を決めるのは、1993年の西武ライオンズ球場(現・メットライフドーム)以来、28年ぶり史上2回目。また、ほっともっとフィールド神戸では、1995年の第1・2戦(当時の名称はグリーンスタジアム神戸)に続き、日本シリーズ3戦全勝となった。ヤクルトが関東地方以外の球場で日本一を決めたのは初めてとなる。日本シリーズの優勝決定球場が本来の出場チームの専用球場以外での決定は1951年のフランチャイズ制導入以降では1978年の後楽園球場、1979年の大阪球場に次いで3度目だったが、どこの球団の専用球場でもない球場での優勝決定は本年のほっともっとフィールド神戸が初の事例となった。 日本シリーズが6試合で決したのはヤクルト球団史上初、日本シリーズ史上23度目(うち4勝2敗は21度目)で、4勝2敗で日本一となったチームが初戦と5戦目に敗れたパターンは、1968年の巨人(対阪急)以来史上4度目。初戦で敗れた後の逆転日本一はヤクルト球団史上、阪急と対戦した1978年以来2度目で、日本シリーズ史上25度目、セ・リーグ代表としては2007年の中日以来14年ぶり14度目。一方オリックスは、先述の阪急時代の1968年、1978年以来球団史上3度目となる、初戦勝利後の日本シリーズ敗退となり、6試合で決した日本シリーズでは、いずれも巨人に敗れた1967年・1968年・1969年の3年連続以来球団史上4度目となる2勝4敗での敗退となった。 昭和、平成、令和の3元号で日本一になったのはソフトバンクに次ぎ2球団目で、セ・リーグでは初。 監督の高津は、ヤクルト球団史上4人目の日本一監督になると同時に2015年の工藤公康(ソフトバンク)以来、6年ぶり22人目、球団では1978年の広岡達朗、2001年の若松勉以来、20年ぶり3人目となる、日本シリーズ初出場で制覇した監督 前年の工藤に続き史上8人目(13度目)、セ・リーグチームの監督としては1981年・1989年の藤田元司(巨人)、1998年の権藤博(横浜)に次ぎ3人目(4度目)となるプロ野球投手経験者の日本一監督 金田正一、工藤に次ぎ史上3人目の「シリーズ胴上げ投手&日本一監督」(同一球団で経験したのは初) 元スワローズ選手として金田、若松、2008年の西武・渡辺久信、2016年の日本ハム・栗山英樹に次ぎ史上5人目(スワローズを率いた監督としては2人目)の日本一監督 鶴岡一人(1959年・1964年南海)、広岡(1978年ヤクルト・1982年・1983年西武)に次ぎ史上3人目の広島県出身の日本一監督 古葉竹識、落合博満に次ぎ史上3人目の東都大学リーグ所属大学に在籍経験のある日本一監督(同連盟所属大学〈亜細亜大〉の卒業生としては史上初) ボビー・バレンタイン(ロッテ、2005年)に続き史上2人目、日本人としては初のMLB選手経験者の日本一監督 元KBOリーグ、中華職業棒球大聯盟、独立リーグ選手、ならびに元独立リーグ監督経験者初の日本一監督 となった。
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