ヒトの社会の場合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 02:56 UTC 版)
ヒトの社会は基本的に男性が女性とその子供に対して社会的、経済的な保護を投資として与える構造を持っているので一夫一婦制的な繁殖システムを持つ傾向にあるが、歴史的にみると一夫多妻制が普通であった時代や地域も多いし、一妻多夫制、多夫多妻制の社会すらも知られている。一夫多妻制が成り立つひとつの要因は、ヒトの社会の複雑な構造によって社会的地位や経済的地位の差が生まれ、個々の男性に集積される資源の量に大きな幅が生まれることが挙げられる。そのため、多量の資源を集積した男性には複数の女性とその子供への投資が可能になり、一夫多妻制が実現されるようになるのである。 また、外部社会との間の戦争状態が長く続いている社会では、戦死によって男性が少なくなるために一夫多妻制が女性保護の観点から推奨されるケースがある。例えば初期のイスラム社会(イスラム帝国)ではイスラム勢力の征服戦争によってイスラム教徒男性の戦死者が多かった。そのため、イスラム法ではイスラム以前の「無制限の一夫多妻制」に、「4人まで」という人数制限と、全ての妻を平等に扱うという掟によって一定の制約を与えた上で、聖戦によって生じた寡婦を既婚者が娶(めと)ることを推奨した。 世界に238ある社会の内、一夫一婦婚のみが許されている社会は43という報告がアメリカの人類学者G・P・マードックの『社会構造』(1949年刊)に記述されている(後述書 p.29)。カナダウォータールー大学クリス・バウフ(応用数理学専攻)らの研究チームが人口統計学と疾患伝播のパラメーターを用いた数理モデルを構築したシミュレーションをした結果、その論文の結論として、農耕を始めて集団定住をするようになった後、性感染症の大流行に見舞われ、その結果として、一夫一婦制の方が公衆衛生的な観点から集団の維持で有利となり、定着したと推測している(中野信子 『不倫』 文春新書 2018年 pp.40 - 41)。 中国では秦代に始皇帝が単婚制を推奨したことが『史記』秦始皇帝本紀に記述されており、越の地の古い習俗を改めさせるべく、会稽刻石を残した(現存はしていないが、『史記』に内容は残る)。一例として、「過去を隠して正義を振りかざし、子のある寡婦が再婚しても、亡き夫の死に背いた不貞の行為となる」と記されている。これは南方社会の婚姻習俗と出会ったため、法律で一律な支配を行おうとしたことにより(後述書 p.87)、戦国時代の富国強兵政策(戸籍制)の一環であった(鶴間和幸 『中国の歴史03 ファーストエンペラーの遺産 秦漢帝国』 講談社 2004年 pp.86 - 87)。
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