パッラーディオの建築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/21 19:37 UTC 版)
「パッラーディオ建築」の記事における「パッラーディオの建築」の解説
パッラーディオが全体を設計した建物は全てヴェネツィア、あるいはヴェネト州にあり、特に「パッラーディオの都市」と案内書にもうたわれるヴィチェンツァには豊富な邸宅群がある。その中にはヴィラや、ヴェネツィアのレデントーレ教会のような教会がある。パッラーディオは彼の建築に関する論文の中で、ローマの建築家ウィトルウィウス (紀元前80年頃-紀元前15年以降) や、15世紀になってからのその信奉者レオン・バッティスタ・アルベルティ(1404年-1472年)によって定義された原則に従っていた。アルベルティはルネサンス期の特徴でもある装飾過多なものよりも、数値的比に基づく古典的ローマ建築の原則に固執していた。 パッラーディオはヴィラを設計するときには常に、その立地に合わせていた。ヴィラ・カプラのように丘の上にある場合は、ファサードを四面とも同様に設計して、居住者があらゆる方向に素晴らしい眺めを満喫できるようにすることが多かった。またそのような場合にはポルチコが全面に造られて、居住者は太陽から守られながら周りの景色を十分に楽しめるようになっており、今日多くのアメリカンスタイルのポーチに見られるものに似ている。パッラーディオはポルチコに代わるものとしてロッジアを使うこともあった。これは極く単純に中断されたポルチコと表現することもでき、あるいは内部の1階分の部屋が要素に対して開かれている貫通された壁があるものとも言うことができる。時としてロッジアは、下のロッジアの頂部の上の二階部分に置かれることもあり、ダブル・ロッジアと呼ばれるものを創り出している。ロッジアはペディメントが載ったファサードでは重要な意味を与えられることもある。ヴィラ・ゴディはポルチコよりもロッジアに重点が置かれ、そのロッジアが母屋の各端で終わっていることも重要である。 パッラーディオはそのヴィラの立面に古代ローマの神殿のファサードをモデルにすることが多かった。この神殿の影響は十字型のデザインに表されることが多く、後には彼の作品のトレードマークになった。パッラーディオのヴィラは通常3階建てで建てられた。田舎風の地階あるいは地上階にはサービスルームや小さな部屋が配された。その上はピアノ・ノビーレであり、ポルチコを通って一続きの外部階段を上がり、主要な応接室や寝室があった。その上には低い中二階が乗り、二次的な寝室や宿泊設備があった。ヴィラ内の各室の比率は、3対4あるいは4対5など単純な数値比で計算された。1つの家の中の異なる部屋はこれらの比で相互に関連付けられた。初期の建築家は一つの対称的なファサードを平衡させるためにこれらの形を使ったが、パッラーディオの設計は通常四角なヴィラ全体に関連付けられていた。 パッラーディオは農家としても、裕福な商人のオーナーが週末を過ごす宮殿のような建物としても、そのヴィラの二重の用途を深く考えていた。これら対称的で神殿のような家屋は平等に対称だったが、母屋とは離して、馬、農場の家畜、農産物を容れる低いウィングがあった。このウィングはコロネードでヴィラに付設あるいは繋がれていることがあり、機能的であるだけでなく、ヴィラにアクセントを与えるものとしてデザインされた。しかし、如何なる場合にも母屋の一部ではないという考えであり、18世紀にパッラーディオの追随者達が建物の一体的部分となるように採用したのがこのウィングのデザインと用途となっている。
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