バッファロー・ブレーブスとは? わかりやすく解説

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ロサンゼルス・クリッパーズ

(バッファロー・ブレーブス から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/28 08:42 UTC 版)

ロサンゼルス・クリッパーズ
Los Angeles Clippers
2025-26シーズンのロサンゼルス・クリッパーズ
チームロゴ LACと入ったバスケットボールの下にCLIPPERSの文字
所属リーグ  NBA 
カンファレンス  ウェスタン・カンファレンス 
ディビジョン  パシフィック 
創設 1970年
チーム史 バッファロー・ブレーブス
(1970-1977)
サンディエゴ・クリッパーズ
(1978-1984)
ロサンゼルス・クリッパーズ
(1984- )
本拠

カリフォルニア州イングルウッド
アリーナ インテュイット・ドーム
チームカラー ネイビーブルー, エンバーレッド, パシフィックブルー[1][2][3]
     
主なスポンサー Honey[4]
オーナー スティーブ・バルマー
社長 ローレンス・フランク
GM トレント・レッデン
ヘッドコーチ ティロン・ルー
優勝歴 0回
ファイナル進出 0回
ディビジョン優勝 3回 (2013年, 2014年, 2024年)
NBAGL提携チーム サンディエゴ・クリッパーズ
公式サイト www.nba.com/clippers
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ステイプルズセンターのクリッパーズホームコート

ロサンゼルス・クリッパーズLos Angeles Clippers)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスに本拠を置く全米プロバスケットボール協会(NBA)のチーム。ウェスタン・カンファレンスパシフィック・ディビジョンに所属。チーム名のクリッパーとは高速帆船のこと。元はサンディエゴにあったため、同市では帆船が活躍していたことにちなんでいる。

歴史

バッファロー・ブレーブス(1970-78)

  • バッファローには8年留まり、その間同じアリーナをNHLバッファロー・セイバーズと同時に使用した。チームの初代ヘッドコーチは殿堂入りしているドルフ・シェイズで、拡張ドラフトで獲得したボブ・カウフマンとドン・メイがスター選手であった。この年は22勝60敗に終わったが、同じ新加入のキャブスの15勝67敗と比べると7勝多かった。前年シカゴ・ブルズに在籍1試合平均4.3得点だったカウフマンは20.4得点をあげオールスターにも選ばれた。
  • チームは低迷したが1973年にボブ・マカドゥーをノースカロライナ大学からドラフトで取ると、その年プレイオフに進出し、ボストン・セルティックスと第6戦まで戦い2勝4敗で敗れた。
  • 1974-75シーズン、マカドゥーは1試合平均34.5得点、14.1リバウンド、2.12ブロック、51.2%FG成功率、80.5%フリースロー成功率を記録し、シーズンMVPに選ばれた。1974-75、1975-76シーズンは共にプレイオフに進出した。1976-77シーズン途中にマカドゥーがニューヨーク・ニックスにトレードされるとチームは低迷した。このシーズンから1992年までの15年間プレイオフ不出場が続く。
  • 1977-78シーズン終了後チームはカリフォルニア州サンディエゴに移転してサンディエゴ・クリッパーズとなった。

サンディエゴ・クリッパーズ(1978-84)

  • サンディエゴに移転して最初の年は43-39と勝ち越したが、プレイオフ最後のいすに2勝少なくて涙をのんだ。そしてこの後クリッパーズは13年間勝ち越すことなく過ごす。この年、World B. Free がサンアントニオ・スパーズジョージ・ガービンに次いで、1試合平均28.8得点を記録した。1979-80シーズンにはサンディエゴ出身の名センター、ポートランド・トレイルブレイザーズNBAチャンピオンになっていたビル・ウォルトンを獲得するが、チーム成績は上がらなかった。ウォルトンはポートランドで過ごした最後のシーズンを足の怪我で棒にふるっていたが、サンディエゴに加入して2シーズン目にも、シーズンを欠場し、ゴールデンステート・ウォリアーズのガードのフィル・スミスとトレードされた。

ロサンゼルス・クリッパーズ(1984- )

1980年代から1990年代

  • クリッパーズは1984年にロサンゼルスに移転して、ロサンゼルス・クリッパーズとなった。最初の年は31勝51敗に終わる。
  • その後7年の間、クリッパーズはどん底にあり、1986-87シーズンを12勝70敗(歴代最も成績の悪かったチーム、1972-73シーズンのフィラデルフィア・セブンティシクサーズの9勝73敗を辛くも更新せずに済んだ。)で終わった。その年、殿堂入りしていたエルジン・ベイラーを球団副社長として招いた。ベイラーは、1989-90年にクリッパーズでプレイすることを拒否したダニー・フェリーをクリーブランド・キャバリアーズのロン・ハーパーレジー・ウィリアムズ英語版とトレードした。このトレードは1987年のケン・ノーマン、1988年のダニー・マニング、1990年のロイ・ボウトなどドラフトで獲得した選手とともに、1991-92、1992-93シーズンにプレイオフ進出するための原動力となった。
  • 1991-92シーズンの途中でクリッパーズはヘッドコーチを交代させたが、これは非常にうまくいった。サンアントニオ・スパーズを解雇されたばかりのラリー・ブラウンである。ヘッドコーチ交代前22勝25敗だったチームはブラウンに交代した後、23勝12敗を記録、45勝37敗で13年ぶりに勝ち越した。クリッパーズはバッファロー時代以来16年ぶりにプレイオフに進出したが、ユタ・ジャズに2-3で敗れた。1992年4月にロサンゼルスで起きた暴動のためプレイオフの第4戦はアナハイムで行われたが、その試合クリッパーズは勝った。
  • 1992-93シーズンは41勝41敗で終了し、再びプレイオフに出場し、ヒューストン・ロケッツに2勝3敗で敗れた。
  • ラリー・ブラウンはインディアナ・ペイサーズのヘッドコーチになるため去るとボブ・ワイスがヘッドコーチとなった。
  • 1993-94シーズンはロサンゼルスのNBAにとって最悪の年で、クリッパーズとレイカーズを合計して、60勝104敗と大きく負け越した。その後数年、クリッパーズは選手、ヘッドコーチをしばしば交代したが、1997年プレイオフに進出した。36-46と負け越していたが、プレイオフに進出したクリッパーズはウエスタンカンファレンス首位のユタ・ジャズと対戦,3連敗でシーズンを終えた。
  • 1994年から99年にかけて、クリッパーズはNHLマイティーダックス・オブ・アナハイムと同じアリーナを本拠地としたが、1999年からレイカーズと同じステイプルズ・センターに移った。
  • 1999年ラマー・オドムをドラフトで獲得するが、15勝67敗でシーズンを終える。若い選手たちのサポートのために、元オールスターでロサンゼルス出身のデニス・ジョンソン(シアトルとボストンで3回NBAチャンピオンになっている)を採用する。チームはまた殿堂入りしている偉大な元レイカーズのカリーム・アブドゥル=ジャバーをアシスタントコーチとした。デニス・ジョンソンは2002-03シーズン途中までアシスタントコーチだったが、ヘッドコーチに昇格した。アブドゥル=ジャバーは1年間だけコーチを続けた。

2000年代

エルトン・ブランドを中心とした時代
  • 翌シーズンさらにチームを改善するためにドラフト当日、ロサンゼルス出身のタイソン・チャンドラーをシカゴ・ブルズのパワーフォワード、エルトン・ブランドとトレードした。それまでの2シーズン、ブランドは1試合平均20得点、10リバウンドをあげていた。ブランドは2002年のオールスターゲームで負傷欠場したシャキール・オニールの代わりに出場した。この年クリッパーズは最後の13試合でわずか3勝しかできずに39勝43敗で終わりプレイオフ進出を逃した。
  • 2002年のシーズンオフには、マイルズと、クリーブランド・キャバリアーズで2001-02シーズン1試合あたり11アシストでアシスト王となったポイントガードのアンドレ・ミラーがトレードされた。これによって、ミラー、オドム、ブランド、オロワカンディ、ベンチプレイヤーも充実したクリッパーズはプレイオフに向けて順調に進むものと見られたが、チームケミストリーの欠如と負傷者続出(延べ293試合)で非常にがっかりさせられる27勝55敗でシーズンを終えた。シーズン途中にヘッドコーチはデニス・ジョンソンに交代した。
  • 2003-04のシーズンを前にクリッパーズは、ミラー、オドム、オロワカンディ、パイカウスキーといったチームの核となる選手をフリーエージェントで失った。一方ドラフトではクリス・ケイマンを指名し、ブランドとマゲッティと長期契約を結ぶことに成功した。彼らはリチャードソンと共に1試合平均58得点のNBA有数のトリオとなった。新しいヘッドコーチ、マイク・ダンリービーを迎えたクリッパーズは経験のなさと負傷によって28勝54敗でシーズンを終えた。
  • 2004-05年シーズンはクリッパーズとレイカーズとの立場が入れ替わりとなった。シャキール・オニールマイアミ・ヒートにトレード、殿堂入りが期待されるヘッドコーチ、フィル・ジャクソンカール・マローンゲイリー・ペイトンを失ったレイカーズは34勝48敗、一方クリッパーズは37勝45敗であった。レイカーズと同様、クリッパーズもプレイオフ進出を逃したが、1993年以来、レイカーズの成績を上回った。この年ボビー・シモンズが1試合あたり16得点、6リバウンド、3アシストを記録し、MIP(最も改善されたプレイヤーに贈られる賞)を受賞したが、彼は2005年7月、故郷のシカゴに近いミルウォーキー・バックスと5年契約4700万ドルを結び去った。シモンズの穴を埋めるためにクリッパーズはロケッツ、マジック、キングスでプレイしたカッティノ・モブリーと契約した。モブリーと契約したことでパイカウスキーを失って以来、チームに不足していた長距離シュートを武器とすることができ、ディフェンスの強い選手を手に入れることができた。モブリーは、70年代のビル・ウォルトン以来ひさびさのフリーエージェントで加入した選手となった。8月12日にはさらに大きな出来事があり、ミネソタ・ティンバーウルブズと2人の選手を放出する代わりにサム・キャセールとミネソタがプレイオフに進出した場合の翌年ドラフト1位指名権を手に入れた。
  • 2005-06年は大きな飛躍の年となった。強豪チームに対しての勝利は多くのファンの注目を浴び、エルトン・ブランドはオールスターゲームに選ばれた。そして大きく改善されたチームのことは、多くのスポーツ雑誌に載った。クリッパーズはここ14シーズンで最高の成績をおさめ、1997年以来のプレイオフに進出した。
  • 47勝35敗で終わりバッファローを去って以来最高の成績をおさめたクリッパーズはウエスト6位でデンバー・ナゲッツと対戦することを期待された。4月12日クリッパーズは、ウエスト5位でダラス・マーベリックスとの対戦が見込まれたが、続く7試合のうち、5試合に敗れてメンフィス・グリズリーズがウエスト5位となった。4月22日、クリッパーズは13年ぶりにプレイオフのゲームで勝利した。2日後第2戦も勝利してチーム創設以来初めて2-0とリードした。第3戦を失ったが、第4戦、第5戦を勝ちバッファローから移転して以来初めてプレイオフ1回戦を突破した。続くウエスタンカンファレンス準決勝でフェニックス・サンズと対戦、第1戦を落としたものの敵地の第2戦で122-97と劇的な勝利をおさめた。第3戦は、サンズのショーン・マリオンが32得点19リバウンドをあげる活躍で94-91でサンズが勝利した。第4戦、エルトン・ブランドが30得点、9リバウンド、8アシストと活躍し、114-107で勝利する。第5戦のオーバータイム残り1.1秒でサンズのラジャ・ベルが同点の3ポイントシュートを放ち、ダブルオーバータイムに突入、125-118でサンズが勝利した。第6戦はクリッパーズのディフェンスのスペシャリスト、2年目のクイントン・ロスが自己ベストの18得点をあげる活躍で118-106で勝利した。この試合ブランドも30得点、12リバウンド、3アシスト、5ブロック、マゲッティはベンチスタートでFG8本中7本、フリースロー9本全て成功で25得点、クリス・ケイマンとサム・キャセールは15得点をあげた。第7戦は127-107でサンズが勝利して、この年のクリッパーズの快進撃は終わった。
  • この年のプレイオフ1回戦はサンズ対レイカーズであり、レイカーズが勝ち上がっていた場合、同じアリーナをホームコートとする両チームの対戦という珍しいケースになるところだった。
  • 2006-07シーズンはプレーオフ進出ならず、さらに翌2007-08シーズンはエルトン・ブランドがシーズンをほぼ全欠し、チームは地区最下位となった。
ゴードンとグリフィンを中心とした時代

2010年代

  • 2010-11シーズンは、グリフィンの事実上のルーキーイヤーとなり、新人の使い方が巧みなことで定評のあるヴィニー・デル・ネグロヘッドコーチの元、グリフィンは優れた成績を残し、新人王を獲得したが、ルーキー中心で、チームとしての層が薄く、32勝50敗という成績に終わった。
ポールとグリフィンを中心としたロブ・シティの形成
ドック・リバースHC
  • 2013-14シーズンは、球団社長兼ヘッドコーチにドック・リバースを招き、ホーネッツ時代、ポールの控えを経験しているダレン・コリソンや、リーグ屈指のシューターであるJ・J・レディックを獲得した。クリス・ポールが20試合の故障離脱をしたものの、ブレイク・グリフィンを中心に歯車が噛み合い昨年より戦績を伸ばしフランチャイズ史上最高勝率の57勝25敗を記録しカンファレンス3位でプレーオフに入った。グリフィンはこの活躍が評価されMVP投票でケビン・デュラントレブロン・ジェームズに次ぎ3位に輝いた。第1回戦では粘るゴールデンステート・ウォリアーズを第7戦で振り切り、プレーオフ初対戦となるオクラホマシティ・サンダーとのカンファレンスセミファイナルへと進んだ。この期間にオーナーのドナルド・スターリングが人種差別に関わる不適切発言をしていたことがスクープされ、NBAコミッショナーのアダム・シルバーから250万ドルと高額の罰金と、永久追放が発表された[5]。セミファイナルでは第5戦逆転負けの後、リバースヘッドコーチが審判を非難する発言をし、リーグより25000ドルの制裁金を課された。第6戦を落とし敗退した。
  • 前オーナーの永久追放処分に伴いチームの売却交渉が行われた結果、2014年8月12日、元マイクロソフトCEOスティーブ・バルマーがNBA史上最高額となる約20億ドルでチームを買収しオーナーとなることが正式決定した[6]。バルマーはマイクロソフトの取締役を退任しチームオーナー職に専念する方針を明らかにしている[7]
  • 新オーナーを迎えた2014-15シーズンは、前年より選手層が薄くなったものの終始安定した戦いで、56勝26敗の成績でカンファレンス3位で4年連続でプレーオフ出場。2015年1月には、ドック・リバースヘッドコーチの息子オースティン・リバースを獲得したことでも話題を呼んだ。プレーオフ第1回戦は、前シーズンNBAチャンピオンでもあるサンアントニオ・スパーズとの対戦となった。第7戦まで縺れる大接戦となった戦いは、トリプル・ダブルを記録したグリフィンとハムストリングを痛めながらも試合時間残り1秒で決勝点を沈めたポールの活躍でスパーズを退け、セミファイナルに進出。続くヒューストン・ロケッツとの戦いは、3勝1敗と先勝したものの、その後3連敗を喫し3勝4敗で敗退した。
  • 2015-16シーズンは、ペイサーズ在籍時にスタメンとしてカンファレンスファイナル出場経験のあるランス・スティーブンソンや昨プレーオフで敗れたロケッツからジョシュ・スミスを獲得しさらなる飛躍を図ったが、チームにフィットせずシーズン中にあっさりと放出。またグリフィンが脚の故障で長期離脱中、友人である球団関係者と訪れたレストランで口論になった際に暴行を働き、脚の故障から復帰後4試合の出場停止処分を受け47試合を欠場するなど、不安定なシーズンとなり期待を裏切る53勝29敗で終了。ポートランド・トレイルブレイザーズとの対戦となったプレーオフ1stラウンドでも、先の脚の故障が再発したグリフィンに加えポールも相手のユニフォームに指が引っかかり骨折する不運が降りかかるなど踏んだり蹴ったりの展開になり、2勝4敗で敗退した。
  • 2017-18シーズン開幕前にポール、シーズン中には2009年のドラフト1位指名以来、約9年に渡ってチームを支えてきたグリフィンがトレードで放出されLob City解体のシーズンとなった2017-18シーズンは2018年4月7日、2011年以来7年振りにプレーオフ進出を逃した[8]
  • 2018年のNBAドラフトでは、チームは全体で12番目と13番目の指名権を獲得し、それぞれマイルズ・ブリッジズジェローム・ロビンソン英語版を指名した。その後、ドラフトの夜にブリッジズと2回目の2巡目の指名権をシャーロットと交換し、シェイ・ギルジャス=アレクサンダーを獲得した。オースティン・リバースワシントン・ウィザーズマルチン・ゴルタットと引き換えに放出され、2008年からチームに所属していたデアンドレ・ジョーダンは、契約を解除しフリーエージェントになった。
  • 2018-19シーズンは、グリフィンとジョーダンを失ったにもかかわらず、クリッパーズはプレーオフ出場権を獲得し、レギュラーシーズンを48勝34敗で終えた。プレーオフでは、一回戦で過去3年で2度のNBAチャンピオンであるゴールデンステート・ウォリアーズに、6戦目で負けた。彼らは2016年のプレーオフ以来、敵地で2回ウォリアーズを破った最初のチームだった。また、NBAプレーオフ史上最大の31点差からの逆転勝利を記録した。
  • 2019年のNBAファイナルで、カワイ・レナードトロント・ラプターズを最初のNBAチャンピオンシップに導き、ファイナルMVPを獲得した。その後、彼はラプターズとの最終年の契約を解除し、2019年のオフシーズン中にトップフリーエージェントの一人になった。レナードは、チームがオクラホマシティ・サンダーポール・ジョージを獲得することを条件に、クリッパーズと署名することを選択した。ジョージのために、クリッパーズはシェイ、ダニーロ・ガリナリ、4つの保護されていない1巡目の指名権、保護された1巡目の指名権、2つのピック・スワップを交換した。
  • レナードとジョージのスーパーデュオを結成して臨んだ2019-20シーズンは、2人に適度な休養を与えながら好成績を残し、シーズン中にマーカス・モリスレジー・ジャクソンジョアキム・ノアなど実績のあるベテラン達を獲得しプレーオフに備えた。レギュラーシーズンを49勝23敗のカンファレンス2位で終え、優勝候補の一角としてプレーオフに臨んだ。1回戦でカンファレンス7位のダラス・マーベリックスと対戦。相手の若きエースルカ・ドンチッチに逆転ブザービーターを浴びるなど苦戦したが、4勝2敗で勝利。準決勝では1回戦で1勝3敗から大逆転で勝ち上がってきたカンファレンス3位のデンバー・ナゲッツと対戦。レナードやジョージの活躍で3勝1敗と王手をかけるが、ナゲッツが底力を発揮して2連勝し、第7戦までもつれこむ。第7戦ではレナードとジョージが不調に陥り、2人合わせて24点しか奪えず。逆に相手エースのジャマール・マレーに40得点を許し、89-104で敗戦。ロブシティ時代に続き、またしても準決勝で敗れてしまった。この結果を受け、リバースHCが退任した。
  • そして逆転負けでシーズンを終えたオフでジョージと4年1億9,000万ドルで契約しその他格安でニコラス・バトゥームやレジー・ジャクソンと契約した。ジョージとの高額契約はジョージがプレーオフで絶不調に陥った後だったので大きな批判を呼んだ。辞任したドックリバースの後任として新たにティロン・ルーがHCに就任した。

2020年代

ホームアリーナ移転

2024年からクリッパーズの本拠地となったインテュイット・ドーム
  • 2024−25シーズンから新しい本拠地であるインテュイット・ドームへ移転した。シーズン開幕前にトレードでウェストブルック、ジョージを放出し[9][10]、ハーデンと再契約した[11]

シーズンごとの成績

Note: 勝 = 勝利数, 敗 = 敗戦数, % = 勝率

シーズン % プレーオフ 結果
バッファロー・ブレーブズ
1970-71 22 60 .268
1971-72 22 60 .268
1972-73 21 61 .256
1973-74 42 40 .512 カンファレンス準決勝敗退 セルティックス 4, ブレーブス 2
1974-75 49 33 .598 1回戦敗退 ワシントン 4, ブレーブス 3
1975-76 46 36 .561 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ブレーブス 2, シクサーズ 1
セルティックス 4, ブレーブス 2
1976-77 30 52 .366
1977-78 27 55 .329
サンディエゴ・クリッパーズ
1978-79 43 39 .524
1979-80 35 47 .427
1980-81 36 46 .439
1981-82 17 65 .207
1982-83 25 57 .305
1983-84 30 52 .366
ロサンゼルス・クリッパーズ
1984-85 31 51 .378
1985-86 32 50 .390
1986-87 12 70 .146
1987-88 17 65 .207
1988-89 21 61 .256
1989-90 30 52 .366
1990-91 31 51 .378
1991-92 45 37 .549 1回戦敗退 ジャズ 3, クリッパーズ 2
1992-93 41 41 .500 1回戦敗退 ロケッツ 3, クリッパーズ 2
1993-94 27 55 .329
1994-95 17 65 .207
1995-96 29 53 .354
1996-97 36 46 .439 1回戦敗退 ジャズ 3, クリッパーズ 0
1997-98 17 65 .207
1998-99 9 41 .180
1999-2000 15 67 .183
2000-01 31 51 .378
2001-02 39 43 .476
2002-03 27 55 .329
2003-04 28 54 .341
2004-05 37 45 .451
2005-06 47 35 .573 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
クリッパーズ 4, ナゲッツ 1
サンズ 4, クリッパーズ 3
2006-07 40 42 .488
2007-08 23 59 .280
2008-09 19 63 .232
2009-10 29 53 .354
2010-11 32 50 .390
2011-12 40 26 .606 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
クリッパーズ 4, グリズリーズ 3
スパーズ 4, クリッパーズ 0
2012-13 56 26 .683 1回戦敗退 グリズリーズ 4, クリッパーズ 3
2013-14 57 25 .695 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
クリッパーズ 4, ウォリアーズ 3
サンダー 4, クリッパーズ 2
2014–15 56 26 .683 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
クリッパーズ 4, スパーズ 3
ロケッツ 4, クリッパーズ 3
2015–16 53 29 .622 1回戦敗退 トレイルブレイザーズ 4, クリッパーズ 2
2016–17 51 31 .622 1回戦敗退 ジャズ 4, クリッパーズ 3
2017–18 42 40 .512
2018–19 48 34 .585 1回戦敗退 ウォリアーズ 4, クリッパーズ 2
2019–20 49 23 .681 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
クリッパーズ 4, マーベリックス 2
ナゲッツ 4, クリッパーズ 3
2020–21 47 25 .653 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
クリッパーズ 4, マーベリックス 3
クリッパーズ 4, ジャズ 2
サンズ 4, クリッパーズ 2
2021–22 42 40 .512
2022–23 44 38 .537 1回戦敗退 サンズ 4, クリッパーズ 1
2023–24 51 31 .622 1回戦敗退 マーベリックス 4, クリッパーズ 2
通算勝敗 1,843 2,517 .423
プレイオフ 65 83 .439

主な選手

現役選手

プレーヤー スタッフ
Pos. # 名前 国籍 年齢 身長 体重 出身
F - パトリック・ボールドウィン・ジュニア (Patrick Baldwin Jr.)  22 (2002/11/18) 6 ft 9 in (2.06 m) 215 lb (98 kg) UWM 
F 33 ニコラス・バトゥーム (Nicolas Batum) 26 (1998/12/14) 6 ft 8 in (2.03 m) 230 lb (104 kg) フランス 
G 10 ボグダン・ボグダノヴィッチ (Bogdan Bogdanović) 6th 32 (1992/08/18) 6 ft 6 in (1.98 m) 220 lb (100 kg) セルビア 
F 21 コービー・ブラウン (Kobe Brown) 25 (2000/01/01) 6 ft 7 in (2.01 m) 250 lb (113 kg) ミズーリ大学 
G 12 キャム・クリスティー (Cam Christie) 19 (2005/07/24) 6 ft 6 in (1.98 m) 190 lb (86 kg) ミネソタ大学 
G/F 7 アミール・コフィー (Amir Coffey) 28 (1997/06/17) 6 ft 7 in (2.01 m) 210 lb (95 kg) ミネソタ大学 
G 8 クリス・ダン (Kris Dunn) 31 (1994/03/18) 6 ft 3 in (1.91 m) 205 lb (93 kg) プロビデンス大学 
F/C 15 ドリュー・ユーバンクス (Drew Eubanks) 28 (1997/02/01) 6 ft 10 in (2.08 m) 245 lb (111 kg) オレゴン州立大学 
G/F 9 トレンティン・フラワーズ (Trentyn Flowers)  20 (2005/03/08) 6 ft 7 in (2.01 m) 205 lb (93 kg) コンバイン・アカデミー 
G 1 ジェームズ・ハーデン (James Harden) 35 (1989/8/26) 6 ft 5 in (1.96 m) 220 lb (100 kg) アリゾナ州立大学 
F 55 デリック・ジョーンズ・ジュニア (Derrick Jones Jr.) 28 (1997/02/15) 6 ft 6 in (1.98 m) 210 lb (95 kg) UNLV 
F 2 カワイ・レナード (Kawhi Leonard) 33 (1991/06/29) 6 ft 7 in (2.01 m) 230 lb (104 kg) サンディエゴ州立大学 
F 3 セス・ランディー (Seth Lundy)  25 (2000/04/02) 6 ft 4 in (1.93 m) 220 lb (100 kg) ペン州立大学 
F 11 ジョーダン・ミラー (Jordan Miller) 25 (2000/01/23) 6 ft 5 in (1.96 m) 194 lb (88 kg) マイアミ大学 
G 88 パティ・ミルズ (Patty Mills) 36 (1988/08/11) 6 ft 2 in (1.88 m) 180 lb (82 kg) セント・メアリーズ大学 
G/F 24 ノーマン・パウエル (Norman Powell) 32 (1993/03/25) 6 ft 3 in (1.91 m) 215 lb (98 kg) UCLA 
P/F 25 ベン・シモンズ (Ben Simmons) 28 (1996/07/20) 6 ft 10 in (2.08 m) 240 lb (109 kg) LSU 
C 40 イビツァ・ズバッツ (Ivica Zubac) 28 (1997/03/18) 7 ft 1 in (2.16 m) 240 lb (109 kg) クロアチア 
ヘッドコーチ
ティロン・ルー (Tyronn Lue)
アシスタントコーチ
  ジェレミー・キャッスルベリー (Jeremy Castleberry)
  ダン・クレイグ (Dan Craig)
  ラリー・ドリュー (Larry Drew)
  ダンテイ・ジョーンズ (Dahntay Jones)
  ジェイ・ララナーガ (Jay Larranaga)
  ブライアン・ショウ (Brian Shaw)
  ジェフ・ヴァン・ガンディー (Jeff Van Gundy)

記号説明


外部リンク


更新日:2025年06月28日


年代別主要選手

太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手 (50)…偉大な50人 (75)…偉大な75人

栄誉

ヘッドコーチ、その他

歴代ヘッドコーチ

日本人プレイヤー

2005年9月15日に契約したと発表されたが、その後公式戦に出場することなく解雇された。

チアリーダー

日本人チアリーダー

日本での公式戦

チーム記録

脚註

  1. ^ “LA Clippers Unveil New Uniforms, Logo, and Brand Look”. NBA Media Ventures, LLC. (2024年2月26日). https://www.nba.com/clippers/news/la-clippers-unveil-new-uniforms-logo-and-brand-look 2024年2月27日閲覧。 
  2. ^ “Clippers unveil new unis, court and logo for next season”. NBA.com (Press release). NBA Media Ventures, LLC. 26 February 2024. 2024年2月27日閲覧.
  3. ^ LA Clippers Reproduction and Usage Guideline Sheet”. NBA Properties, Inc.. 2016年10月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月10日閲覧。
  4. ^ “Honey and LA Clippers Expand Partnership, Introduce Honey Logo Patch on Clippers Jerseys”. Clippers.com (Press release). NBA Media Ventures, LLC. 20 November 2020. 2020年12月25日閲覧.
  5. ^ Yahoo.sports
  6. ^ NBA=クリッパーズ売却完了、マイクロソフト前CEOがオーナー - ロイター・2014年8月13日
  7. ^ バルマー前CEO、MS退社=クリッパーズ運営に専念 - 時事通信・2014年8月20日
  8. ^ LA Clippers miss playoffs for first time since 2011” (英語). NBA.com (2018年4月7日). 2018年4月8日閲覧。
  9. ^ Paul George signs 4-year max contract with 76ers”. NBA.com (2024年7月7日). 2024年10月19日閲覧。
  10. ^ Russell Westbrook reaches 2-year, $6.8 million minimum deal with Nuggets after trade”. Yahoo Sports (2024年7月26日). 2024年10月19日閲覧。
  11. ^ Los Angeles Clippers re-sign James Harden, agree to terms with 3 other players”. Yahoo Sports (2024年7月10日). 2024年10月19日閲覧。

外部リンク


バッファロー・ブレーブス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 15:38 UTC 版)

ランディ・スミス」の記事における「バッファロー・ブレーブス」の解説

大学時代活躍にも関わらずバッファロー州立大という無名出身であったため、NBAスカウト陣からの関心薄く1971年NBAドラフトでは7巡目104位という、NBA入りできるかどうかすら危うい低評価だった(NBAのライバルリーグだったABAからは指名を受けることすらできなかった)。彼を指名した地元ニューヨーク州バッファローのフランチャイズチーム、バッファロー・ブレーブス(前年1970年誕生したばかりの新興チーム)は彼を7月新人キャンプには招いたものの、チームスミスとようやく契約した時には11月となっており、すでに新シーズン開幕していた。しかしブレーブスにとってスミス思わぬ拾い物となったスミス1年目の1971-72シーズンから即戦力として活躍し、13.4得点4.8リバウンド成績を残すと、以後ブレーブス有力な得点現の一人としてプレイした。ブレーブス、現ロサンゼルス・クリッパーズその歴史大半弱小チームとして過ごしているが、スミス入団して3年目の1973-74シーズンには4240敗とチーム史初め勝ち越しプレーオフにも初進出果たしている。翌1974-75シーズンには現在もクリッパーズ歴代最高勝率となる4933敗を記録。翌シーズンプレーオフ進出果たしクリッパーズ史上唯一の3年連続プレーオフ進出果たしたスミスエースボブ・マカドゥーと共にクリッパーズ黄金期築き上げた選手だった。この黄金期マカドゥー移籍短期間終わってしまうが、マカドゥー移籍後スミス事実上ブレーブスエースとなり、1975-76シーズンから4シーズン連続平均20得点超えを果たすなど1970年代後半全盛期迎え、1975-76シーズンには初のオールNBA2ndチームオールスター選ばれ1978年オールスターではベンチ出場ながらゲームハイとなる27得点をあげてイーストチームを勝利導き見事にオールスターMVP輝いた。またこのシーズンキャリアハイとなる平均24.6得点をあげている。

※この「バッファロー・ブレーブス」の解説は、「ランディ・スミス」の解説の一部です。
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