ランディ・スミスとは? わかりやすく解説

ランディ・スミス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 15:38 UTC 版)

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ランディ・スミス
Randy Smith
故人
ポジション(現役時) SG
背番号(現役時) 9, 7
身長(現役時) 190cm (6 ft 3 in)
体重(現役時) 81kg (179 lb)
基本情報
本名 Randolph Smith
ラテン文字 Randy Smith
誕生日 1948年12月12日
没年月日 (2009-06-04) 2009年6月4日(60歳没)
アメリカ合衆国
出身地 ニューヨーク州ベルポート
出身 バッファロー州立大学
ドラフト 1971年 104位
選手経歴
1971-1978
1978-1979
1979-1981
1981-1982
1982-1983
1983
バッファロー・ブレーブス
サンディエゴ・クリッパーズ
クリーブランド・キャバリアーズ
ニューヨーク・ニックス
サンディエゴ・クリッパーズ
アトランタ・ホークス
受賞歴
Stats  NBA.com
Stats  Basketball-Reference.com

ランディ・スミス (Randy Smith, 1948年12月12日 - 2009年6月4日) はアメリカプロリーグNBAで活躍したアフリカ系アメリカ人の元バスケットボール選手。ニューヨーク州ブルックヘヴン出身、バッファロー州立大学卒業。身長191cm、体重82kg。ポジションはポイントガード

1971年のNBAドラフトでは7巡目104位という大変に低い評価で指名を受けるも、生存競争の厳しいNBAにおいて12年間プレイし、1978年NBAオールスターゲームではMVPに輝いた。キャリアの大半はバッファロー・ブレーブス(現ロサンゼルス・クリッパーズ)で過ごし、ボブ・マカドゥーと共に短期間ではあるがブレーブスを上位チームに押し上げる働きを見せた。非常に頑丈な選手として知られ、後にA.C.グリーンに破られるまでNBA記録となる906試合連続出場を果たした。

経歴

バッファロー州立大学

学生時代はサッカー陸上競技など様々なスポーツで活躍した(ベルポート高校では走高跳で6フィート10インチ(約208cm)の記録を残している)、なかでもバスケットボールでは際立った成績を残し、バッファロー州立大学のバスケチームをカンファレンスチャンピオンシップ三連覇と1970年のNCAAトーナメントFinal4進出に導いた。

NBAキャリア

バッファロー・ブレーブス

大学時代の活躍にも関わらず、バッファロー州立大という無名校出身であったため、NBAスカウト陣からの関心は薄く、1971年のNBAドラフトでは7巡目104位という、NBA入りできるかどうかすら危うい低評価だった(NBAのライバルリーグだったABAからは指名を受けることすらできなかった)。彼を指名した地元ニューヨーク州バッファローのフランチャイズチーム、バッファロー・ブレーブス(前年の1970年に誕生したばかりの新興チーム)は彼を7月の新人キャンプには招いたものの、チームがスミスとようやく契約した時には11月となっており、すでに新シーズンは開幕していた。しかしブレーブスにとってスミスは思わぬ拾い物となった。スミスは1年目の1971-72シーズンから即戦力として活躍し、13.4得点4.8リバウンドの成績を残すと、以後ブレーブスの有力な得点現の一人としてプレイした。ブレーブス、現ロサンゼルス・クリッパーズはその歴史の大半を弱小チームとして過ごしているが、スミスが入団して3年目の1973-74シーズンには42勝40敗とチーム史上初めて勝ち越し、プレーオフにも初進出を果たしている。翌1974-75シーズンには現在もクリッパーズの歴代最高勝率となる49勝33敗を記録。翌シーズンもプレーオフ進出を果たし、クリッパーズ史上唯一の3年連続プレーオフ進出を果たした。スミスはエースのボブ・マカドゥーらと共に、クリッパーズの黄金期を築き上げた選手だった。この黄金期はマカドゥーの移籍で極短期間で終わってしまうが、マカドゥー移籍後はスミスが事実上のブレーブスのエースとなり、1975-76シーズンから4シーズン連続で平均20得点超えを果たすなど1970年代後半に全盛期を迎え、1975-76シーズンには初のオールNBA2ndチームとオールスターに選ばれ、1978年のオールスターではベンチ出場ながらゲームハイとなる27得点をあげてイーストチームを勝利に導き、見事にオールスターMVPに輝いた。またこのシーズンはキャリアハイとなる平均24.6得点をあげている。

ブレーブス退団後

スミスはブレーブスで8シーズン過ごし、1978-79シーズンを最後に(この時ブレーブスはサンディエゴに本拠地を移転し、サンディエゴ・クリッパーズとなっていた)、ビル・ウォルトンらとの交換でポートランド・トレイルブレイザーズにトレードされ、さらにシーズン開幕前にクリーブランド・キャバリアーズに再びトレードされた。キャバリアーズではチームキャプテンに指名され、2シーズンプレイ。1981-82シーズンニューヨーク・ニックスで過ごし、1982-83シーズンには古巣クリッパーズに戻ったが、シーズン中に解雇され、現役最後のときはアトランタ・ホークスで過ごした。

  • NBA通算成績
    • 976試合出場
    • 16,262得点(平均16.7得点)
    • 3,597リバウンド(平均3.7リバウンド)
    • 4,487アシスト(平均4.6アシスト)

引退後・業績など

スミスは同時代のスーパースター、ジュリアス・アービングのように速攻とリム際のボール捌きの巧みさで70年代後半から80年代前半のNBAのオフェンススタイルに大きな影響を及ぼした選手とされる。ディフェンスの名手でもあり、スティール数は4シーズンでリーグTop10以内にランクし、またアシスト数も1974-75シーズンに記録された平均6.5アシストはリーグ5位の好記録だった。長期にわたってバッファロー・ブレーブス(現クリッパーズ)でプレイしたため、多くのスタッツでチーム記録の歴代上位に入っている。

主な業績

現役引退後はNBAの役員となったほか、独立リーグCBAのモヘンガン・サン・カジノのコーチなどを務めた。2009年6月4日、コネチカット州ノーウィッチで心臓発作で亡くなった。60歳だった。

外部リンク





固有名詞の分類

アメリカ合衆国の男子バスケットボール選手 ランディ・フォイ  クリス・アンダーセン  ランディ・スミス  ボビー・ヴァンツァー  デレック・フィッシャー
アメリカ合衆国のバスケットボール選手 マイキー・マーシャル  ランディ・フォイ  ランディ・スミス  デレック・フィッシャー  コーリー・マゲッティ
ニューヨーク・ニックスの選手 ディック・ガーメイカー  ケニー・シアーズ  ランディ・スミス  クエンティン・リチャードソン  ボブ・ラブ
アトランタ・ホークスの選手 ファン・イグナシオ・サンチェス  ウォルト・ハザード  ランディ・スミス  ジョー・ジョンソン  アル・ハリントン
クリーブランド・キャバリアーズの選手 ブルーノ・サンドフ  トラジャン・ラングドン  ランディ・スミス  スティーブン・グラハム  ジョン・ジョンソン
サンディエゴ・クリッパーズの選手 ジョー・ブライアント  ランディ・スミス  ブライアン・テイラー  スウェン・ネイター  マヌート・ボル
バッファロー・ブレーブスの選手 ウォルト・ハザード  ランディ・スミス  エイドリアン・ダントリー  ボブ・マカドゥー  ジム・マクミリアン

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