ランディ・スノーとは? わかりやすく解説

ランディ・スノー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/13 06:41 UTC 版)

獲得メダル
陸上競技
パラリンピック
1984 400m
1984 800m
1984 1500m
車いすテニス
パラリンピック
1992 男子シングルス
1992 男子ダブルス
車いすバスケットボール
パラリンピック
1996 男子バスケットボール

ランディ・スノー(Randy Snow、1959年5月24日 - 2009年11月19日)はアメリカ車いすアスリートで実業家。パラリンピック4大会(ニューヨーク・ストークマンデビルバルセロナアトランタシドニー)で3つの競技(陸上競技車いすテニス車いすバスケットボール)に出場、金メダル2個、銀メダル2個、銅メダル2個を獲得した。

来歴

テキサス州出身、右利き。十代の頃は州の大会にも出場するテニス選手であったが、16歳のときに農作業中の事故により下半身不随となる。1977年、テキサス大学オースティン校に入学、車いすバスケットボールのチームを結成した。指導者のジェームズ・ヘイズ(James A. Hayes, 1949年7月28日 - 2008年5月24日)。[1]がいた同大学テキサス大学アーリントン校に転校、車いすレースと車いすテニスも始めた。

1984年、ロサンゼルスオリンピックでエキシビション種目として行われた車いす陸上の1500mで銀メダル、同年の1984年ニューヨーク・ストークマンデビルパラリンピックでもメダルを獲得した。車いすテニスでは1981年から1993年にかけて全米オープン10勝を果たし、1991年には世界チャンピオン、1992年のバルセロナパラリンピックでは男子シングルスおよびダブルスの金メダリストとなった。ワシントンD.C.ビル・クリントン大統領から聖火リレーのトーチを手渡された1996年のアトランタパラリンピックでは、車いすバスケットボールのアメリカ代表チームの一員として銅メダルを獲得。2000年のシドニー大会では車いすテニスに出場したが、デビッド・ホールに敗れ、メダル獲得はならなかった。

テキサス大学アーリントン校で経済学の学位を取得後、サンライズメディカル社のマリリン・ハミルトンのもとで働き、後に独立した。講演・執筆活動などのほか、コーチとして車いすテニスの普及にも取り組み、ジュニアや途上国の選手らを対象に指導も行っている。2002年、国際テニス連盟からその功績を称えられブラッド・パークス賞を受賞した。[2] 2004年7月にはパラリンピック選手としては初めてアメリカ合衆国オリンピック殿堂入りした。

2009年11月19日に50歳で死去した。スノーは2012年に国際テニス殿堂入りを果たした。

主要大会獲得タイトル(車いすテニス)

男子シングルス

スーパーシリーズ

マスターズ

その他

男子ダブルス

スーパーシリーズ

その他

国別対抗団体戦

  1. ^ 18歳で脊髄を損傷。テキサス大学アーリントン校を卒業後、同校で障害をもつ学生のアドバイザーとして勤務、これと平行して車いすバスケットボール車いすテニスのプログラムを開始し、同大学における障害をもつ学生のためのスポーツ奨学金制度を整備した。のちに大学の車いすバスケットボールチームの専任コーチに就任、チームを7度の全米車いすバスケットボール選手権優勝に導いた。自身も1984年ニューヨーク・ストークマンデビルパラリンピックの陸上競技に出場、銅メダルを獲得している(100mおよび200m)。Obituaries: James A. Hayes 1949-2008” (英語). Star-Telegram.com (2008年5月26日). 2008年10月5日閲覧。
  2. ^ International Tennis Federation (2002年6月17日). “Randy Snow to receive Brad Parks Award” (英語). Wheelchair Tennis. 2008年10月5日閲覧。
  3. ^ パートナーはミック・コネル(オーストラリア)。
  4. ^ パートナーはブラッド・パークス(アメリカ)。

参考文献

外部リンク





固有名詞の分類

アメリカ合衆国の男子バスケットボール選手 デイル・デイヴィス  ブライアン・シンプソン  ランディ・スノー  デビッド・ウェスト  ジョエル・プリジビラ
アメリカ合衆国のバスケットボール選手 デイル・デイヴィス  ブライアン・シンプソン  ランディ・スノー  ジョエル・プリジビラ  メル・ハッチンス
アメリカ合衆国の陸上競技選手 ジョン・マクリーン  マイヤー・プリンスタイン  ランディ・スノー  ジェームズ・レクター  ケイト・シュミット
アメリカ合衆国のテニス選手 アレックス・オブライエン  エドガー・レナード  ランディ・スノー  ガードナー・ムロイ  ハーバート・フラム
車いすレース選手 レオ=ペッカ・タハティ  エレンスト・ヴァン・ダイク  ランディ・スノー  八巻智美  上与那原寛和
アメリカ合衆国のパラリンピック選手 マーロン・シャーリー  アレクシ・サラモン  ランディ・スノー  サラ・キャッスル  ジェローム・シングルトン

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