ハバロフスク号の船内の生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 19:21 UTC 版)
「ナホトカ航路」の記事における「ハバロフスク号の船内の生活」の解説
航海にはソビエト連邦国営旅行社であるインツーリストの添乗員が乗船していた。日本語が堪能であり、旅行者の世話係であった。この添乗員の多くは、ウラジオストク国立大学、現在の極東連邦大学、日本語・日本文化学科の卒業者が多かった。 乗客は旅行客と移動客であった。1985年当時の一例では、ソ連を旅行する日本人団体旅行客やソ連を旅行する、若しくは、ソ連を経由してヨーロッパを旅行しようとする、ソ連を通過する日本人・外国人個人旅行客が多かった。内訳は、日本に住みモスクワへ里帰りする日本人と結婚しているロシア人母子、米国へ帰国する英語学校教師夫妻、フランスへ帰省する暁星学園教師(ラテン語と歴史)、任期満了して帰国する在日ハンガリー大使館職員家族、パリへ留学する日本人大学教官等であった。 食事になると、ロシア語、英語、日本語の三か国語でアナウンスがあり、レストランへ行き適当なテーブルに着く。料理は、ソ連人のウエイターかウエイトレスが運んできた。料理は、ロシア料理が多く擬似的な日本料理が時々出された。ソヴィエト連邦の正餐は昼食、ロシア料理のコースであり、スープ、前菜、温かい料理(肉か魚)、デザートという内容だった。パン上に少量のキャビアが乗った前菜やビーツやキャベツのサラダ、スープはやボルシチ、メインはビーフストロガノフ、ステーキ、シュニッツェル、サーモン、魚の燻製等、デザートにはもう日本では見かけない原色をしたゼリーやケーキ、そして、紅茶(チャイ)かインスタントコーヒーだった。 夕食の後は、サロンで生バンドの演奏やダンスパーテー、ロシア民謡やダンス等のアトラクションが企画されていた。バーもあり、ビールやウイスキーなどが注文でき、中でもウオッカ(スタリーチナヤ)がお勧め(インツーリスト添乗員)であった。 甲板には小さなプールがあったが子供が水遊びする程度の設備であった。それよりも甲板のデッキチェアでゆっくりと流れる時間を楽しむ旅行客が多かった。
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