ニザール派政権の確立とは? わかりやすく解説

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ニザール派政権の確立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 10:24 UTC 版)

ニザール派」の記事における「ニザール派政権の確立」の解説

ファーティマ朝との関係を絶ったあと、ハサニ・サッバーフはイラン各地イスマーイール派アラムート中心とする組織として整備する一方奪取あるいは新設し城砦維持領域拡大シャリーア厳格な施行努めたセルジューク朝中心地のひとつイスファハーン周辺ではアフマド・イブン・アッターシュ(先述のアブドゥルマリク・イブン・アッターシュの息子)が1100年、ゲルドクーフ城砦英語版)(シャー・ディズ城砦)を落としアラムート周辺では1102年配下のブズルグ・ウミードがアラムート西方にあるランバサル城砦英語版)を落としてアラムート地域防衛強化。クーヒスターン(英語版)[要リンク修正]でも教勢拡大により、アラムート周辺につぐニザール派拠点としての位置確たるものとした。また1100年前後からハサニ・サッバーフはシリアにもダーイーを派遣している(シリアでのニザール派については後述)。 しかしマリク・シャー没後セルジューク朝混乱1104年には一段落し1106年バルキヤールク没後イラン方面セルジューク朝権力ムハンマド・タパル集約されることになったムハンマド・タパルニザール派一掃期して反攻転じた1107年にシャー・ディズ城砦陥落、ほかにもザーグロス山脈方面いくつかの城砦陥落した。またアラムート近辺ガズヴィーンの街でも争奪繰り返されている。1115年ころからセルジューク朝軍による大規模なアラムート城包囲戦が行われたが、1118年ムハンマド・タパル死去によって包囲軍は瓦解アラムート窮地脱した。こうしてハサニ・サッバーフはマリク・シャーバルキヤールクムハンマド・タパル三代にわたるセルジューク朝包囲ことごとく退けたことで名声博し名実ともにニザール派第一指導者として認められることになるが、イランでのニザール派拡大1110年前後には限界達し以降セルジューク朝との攻防一進一退繰り返す膠着状態となった。ハサニ・サッバーフは1124年6月没した。 ハサニ・サッバーフはイマームのフッジャとしてニザール派指導したとされる。フッジャとはアラビア語シーア派文脈では「証し」を意味するニザール派イマームとするニザール1098年までにカイロ没しているが、ニザール派では代わるイマーム立てることをせず、ニザール行方不明ないし「隠れ」の状態に入ったものとして扱い、ハサニ・サッバーフはフッジャ、すなわちイマーム唯一意を通じることの出来イマーム代理者であるとしたのである実際ニザール派鋳造貨幣12世紀後半に至るまでニザールイマームアルムスタファの名が刻まれている。同時にハサニ・サッバーフはアラムート古今図書集めた図書館設置以降アラムート落城まで多く学者引きつけた。 ハサニ・サッバーフのあとを継いだのが、ランバサル城砦治めるブズルグ・ウミードら4人のダーイーであった。ブズルグ・ウミードは徐々に他を圧倒し1138年の死まで単独支配確立した。ブズルグ・ウミードはハサニ・サッバーフの施策継承しセルジューク朝との一進一退維持した1129年にはスルタン・マフムードから停戦提案されたがこれを拒絶。また1131年にはアリー朝ザイド派イマーム、アブー・ハーシム・ジュルジャーニーを捕らえて処刑している。1135年アッバース朝カリフ・ムスタルシドの暗殺関与したともされる1138年2月9日、ブズルグ・ウミードは没し息子ムハンマドが後を継いだ以降アラムート指導者代々ブズルグ・ウミードの子孫が継承する第3代フッジャとなるヌールッディーン・ムハンマド(ペルシア語版)(ムハンマド1世)の時代には、アラムートによるニザール派全体統治がほぼ確立されニザール派領域安定したこのころまでにはバダフシャーンアフガニスタン最北東部))のイスマーイール派アラムートの下に入った模様である。各地のダーイーはアラムート指示に完全に服従することになるが、一方で重大な事態発生しない限り、その自治性は認められた。20年強にわたってニザール派率いたムハンマド1世1162年2月21日没し息子ハサン・ズィクリヒッサラーム(英語版)(ハサン2世)があとを継いだ

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