ニザーム王国の藩王国化
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「ニザーム・アリー・ハーン」の記事における「ニザーム王国の藩王国化」の解説
1795年3月11日、ニザーム王国はマラーター同盟にカルダーで大敗北を喫した(カルダーの戦い)。その後に結ばれた講和条約により、ダウラターバード、アウランガーバード、アフマドナガル、ショーラープルなどの地を割譲し、3000万ルピーという多額の賠償金を支払わなければならなかった。 これは明らかにニザーム王国のマラーターに対する劣勢さをあらわしていた。この事態に直面したニザーム・アリー・ハーンがマラーターの脅威を除くために選んだのが、イギリスの従属国、つまり藩王国としての存続を図る道であった。 こうして、1798年9月1日にニザーム王国とイギリスとの間に軍事保護条約が結ばれた。この条約では、王国に駐留するイギリス軍の大幅増員およびそれに支払う駐留費の負担増額、フランス人主体の精鋭部隊を解散し、すべてのフランス人将兵の解雇を約した。 こうして、ニザーム王国はイギリスの軍事的・政治的保護下に入り、同国に従属する藩王国となった(ニザーム藩王国)。
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