デビュー曲「黒い花びら」で第1回日本レコード大賞
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「水原弘」の記事における「デビュー曲「黒い花びら」で第1回日本レコード大賞」の解説
東京都立赤坂高等学校2年の時に、文化放送主催の『素人ジャズ喉自慢』に優勝。その後活動していたジャズ喫茶で渡邊美佐にスカウトされ、芸能界入り。 1957年(昭和32年)ダニー飯田とパラダイス・キングに初代ヴォーカルとして参加するが、翌年には脱退。昭和33年水原弘とブルーソックスを結成。メンバーには森山加代子・ジェリー藤尾・ペドロ梅村がいた。 1959年(昭和34年)、「黒い花びら」(作詞:永六輔・作曲:中村八大)でレコード・デビュー。夏木陽介主演の東宝映画『青春を賭けろ』に歌手役で出演。「黒い花びら」は発売初年に30万枚、総合計57万枚という当時としては大ヒット作となった。ちなみに最初のマネージャーは渡邊美佐の妹、曲直瀬信子だった。 またこの年から始まった第1回日本レコード大賞を「黒い花びら」で受賞。新人デビュー年の大賞受賞は現在においても水原が唯一である。また第10回NHK紅白歌合戦に初出場。その後も3年連続で紅白に出場を果たし、独特の甘い“低音”で一世を風靡した。そして20代の女性たちに多大な人気があった。 1960年代前半より各社の映画作品への出演が増え、現代劇作品の主役や時代劇作品の準主役級の役をこなし、多くの人気俳優と共演。共演した俳優から高い評価を得ている。東宝映画『皆殺しの歌、拳銃よさらば』で主役を演じた際には、仲代達矢に「この主役の演技ができるのは水原弘だけだ。」と褒められたというエピソードが残っている。 この頃から取り巻きを引き連れて夜の街を豪遊し、「業界屈指の酒豪」と呼ばれるようになった。「水代わりにレミーマルタン」との逸話が残るほど、日常的な酒浸りや莫大な金額のギャンブルに加えて、所謂高利貸しや闇金融からの多額の借金を抱え、不遇な時代を送る。また、デビュー直後から水原を支え長く婚約状態だった女性が居たが、結局結婚には至らず離別している。 1965年3月10日、警視庁による「錦政会」(のちの稲川会の前身となった組織)に対する第一次頂上作戦が行われ、横浜市港北区にある綱島温泉の旅館「石水亭」が捜索を受ける。旅館経営者や賭博開帳関係者が逮捕される中、前年5月に行われた花札賭博に水原が関与、50万円を巻き上げられた事が発覚。事情聴取を受ける事態となる。この事で事実上の芸能界追放となり、ここから2年間は表舞台から遠ざかる一方で、借金返済に苦しめられる日々となる。
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