デビュー・初代新人王とは? わかりやすく解説

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デビュー・初代新人王(キャリア初期)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 05:39 UTC 版)

澤登正朗」の記事における「デビュー・初代新人王(キャリア初期)」の解説

1991年12月4日地元静岡新規発足したプロサッカークラブ「清水エスパルス」に、大卒第1号選手(契約第3号選手)として加入決定チーム始動の翌1992年から、長谷川健太大榎克己堀池巧三浦泰年向島建真田雅則内藤直樹と共に清水草創期メンバーとして活躍した1992年9月5日Jリーグカップ第1節名古屋グランパス戦で公式戦デビュー第2節横浜マリノス戦で決勝点となるミドルシュート決め公式戦ゴール記録エスパルス公式戦勝利貢献した1992年度は、Jリーグ開幕翌年控え公式戦カップ戦のみ行われ13試合出場Jリーグカップ準優勝天皇杯ベスト8貢献1993年2月には、日本代表に初招集Jリーグ開幕戦の9日前の5月7日に、A代表ゴール記録した後述)。 Jリーグ元年1993年シーズン)は、リーグ戦35試合出場7得点(公式戦40試合出場9得点)。Jリーグカップグループリーグは、ワールドカップ・アジア最終予選の期間中行われたため不参加となったJリーグ開幕戦の5月16日横浜フリューゲルス戦(三ッ沢)でリーグ戦初出場(先発フル出場)。第8節横浜マリノス戦(日本平)でリーグ戦ゴール。第11節の横浜フルューゲルス戦(日本平)では、コーナーキックから直接ゴール決め勝利貢献した7月には、Jリーグオールスターサッカー初出場ルーキーながらWESTチーム背番号10番付けてプレーした同月24日開幕したNICOSシリーズ(2ndステージ)は、シジマール加藤久加入し第2節から9連勝記録。第15節の浦和レッズ戦(国立)では、リーグ戦初の直接FK沈め勝利。このFK清水エスパルスリーグ戦50得点目の記念ゴールとなった。続く第16節は、視聴率30.8パーセント(関東地区ビデオリサーチ調べ)を記録したヴェルディ川崎との首位攻防戦となったが、8日前に行われたJリーグカップ決勝同様にヴェルディ牙城を崩す事はできず、新戦力としてデビューしたFWマルコーン不発終わり0-1敗れた2ndステージ一時首位に立つなど勢い見せた清水であったが、この敗戦響いて2位年間総合順位3位(年間勝利数2位)となったが、清水中心選手として活躍し、創設間もない新規クラブ躍進大きく貢献したとして、Jリーグ初代新人王輝いた奇しくも初代最優秀選手賞MVP)に選ばれたのは、中学時代練習で共に汗を流した三浦知良であった1994年8月1日エメルソン・レオン監督代わり、「左足魔術師」と呼ばれたロベルト・リベリーノコリンチャンス時代チームメイトであったセルジオ越後紹介清水監督就任したリベリーノ監督からは、様々な種類パスシュート蹴り方や逆足(左足)のキックフリーキック等の個人指導を受け、サッカー技術力の向上や後のシーズン活躍足掛かりとなった1995年シーズンは、リーグ戦13得点挙げ自身初の2得点達成以後1999年まで5年連続公式戦2得点マークした

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