デビュー〜新ギタリスト加入(1990年 - 1991年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 10:06 UTC 版)
「ザ・シャーラタンズ」の記事における「デビュー〜新ギタリスト加入(1990年 - 1991年)」の解説
1990年2月10日、自主レーベル「Dead Dead Good」からリリースしたファーストシングル「インディアン・ロープ」でレコードデビュー。英インディーズチャートの1位となり、自主レーベルながらも全英チャートで89位にランクインした。当時のマッドチェスタームーブメントの火付け役であったザ・ストーン・ローゼズのイアン・ブラウンを思わせるバージェスのボーカルスタイルとルックス、そして既に商業的成功を収めていたもう1つのマンチェスターバンド、インスパイラル・カーペッツを連想させるハモンドオルガンのサウンドから、バンドにオリジナリティーが無いなどと一部のプレスから否定的な批評を受ける。しかし、ルックスと楽曲の良さ、そして加熱していたマッドチェスタームーブメントが後押しし、インディーズのファン層を越え、一般レベルの認知度・ファン層を獲得。当時のマッドチェスタームーブメントでは商業的に一番成功したバンドと言われるようになる。 シングル1枚をリリースしただけで、ロンドンにある中堅バンド向けライブ会場の「Town & Country Club(現London Forum)」をソールドアウトにし業界関係者を驚かせるなど、デビュー当時の注目度はかなり高かった。ファーストシングルの後、インディーズレーベルの「Situation Two」(ベガーズ・バンケット傘下)と契約し、1990年5月14日にセカンドシングル「ジ・オンリー・ワン・アイ・ノウ」をリリース。ダンサブルなビートにパーカッシブなハモンドオルガンが全面に打ち出された同曲は、全英チャートで最高位9位にランクインし、マッドチェスタームーブメントを代表する曲となる。同年9月10日にサードシングル「ゼン」(全英最高位12位)をリリース後、10月8日にファーストアルバム『サム・フレンドリー』を発表。プロデューサーはジョイ・ディヴィジョン、ニュー・オーダーのレコーディング・エンジニアとして知られるクリス・ナグル。同アルバムは、インディーズチャート、全英チャートとも第1位を獲得し、インディーズバンドとしては破格の成功を収めた。 ファーストアルバムのリリースに合わせ全英ツアーを行った後、翌年1991年2月から3月にかけて、15カ所16公演の全米ツアーを行った。米国では当時、カレッジチャート「CMJ」で『サム・フレンドリー』が13週間連続で第1位になるなど、バンドへの注目度が高かったため、1公演を除きすべてがソールドアウトとなる盛況ぶりだった(ただし、全米ビルボードチャートでのランクインは73位止まり)。このツアーのライブは、後にファンクラブ限定でリリースされた『Isolation 21.2.91』(シカゴ公演を収録)で聴ける。また、全米ツアーの最中に英国で4thシングル「オーヴァー・ライジング」(全英15位)をリリース。ファーストアルバムとは違い、ギターを全面に打ち出した曲で、それまでの作品よりもロック色が強くなった作品と言える。B面に「ハプン・トゥ・ダイ」という曲があり、こちらの方がポップな曲調でA面向けの曲だったが、当時湾岸戦争が勃発し、曲のタイトル、サビの部分(Happen to Die = 偶然に死ぬ)がラジオ・テレビで放送するのに不向きであると判断されたため、急遽「オーヴァー・ライジング」がA面になったという逸話がある。そして、同年4月には初の来日公演を行った。クラブチッタ川崎で2日間行われた東京公演では、会場内を仕切る鉄柵が破損するほどの超満員を記録した。 1991年の夏頃、ギター担当のオリジナルメンバー、ジョン・ベイカーが脱退。当初の脱退理由は、「バンドに貢献できるものがほとんどなくなった」というベイカーによる自主的な脱退と伝えられていたが、後にベイカーの技量に疑問を持ったロブ・コリンズ、ブラントなどの判断による解雇であったことが判明している。 ベイカーの脱退後、現在のギタリストであるマーク・コリンズがオーディションにより加入。マークは加入前にThe WaltonesやCandlestick Parkといったバンドなどで既にレコードデビューしていた。また、マークはインスパイラル・カーペッツのツアー車の運転手をしていたこともあった。マークを迎え入れたバンドはセカンドアルバムのレコーディングを進め、1991年11月4日に5thシングル「ミー・イン・タイム」をリリースする。当時はマッドチェスタームーブメントが下火になり始めていたこともあってか、全英チャートでは最高位28位と振るわなかった。曲調・サウンドは、トレードマークのオルガンを使わず、曲全体がざらついたギターサウンドで覆われていて、当時プレスでよく話題にされていたシューゲイザー系バンドの影響が見られる。また、同シングルのリリース前に、ブラントが鬱病に陥るという事件が起こる。鬱病になった経緯の詳細ははっきりとは明かされていないが、私生活での問題に加え、音楽業界に対する不信感やベイカーを脱退させたことに罪悪感を抱いていたことなどが原因だと言われている。ちなみに、この時期に鬱病になったことと関係があるのかどうかは定かではないが、ブラントは「ミー・イン・タイム」をひどく嫌っていた。
※この「デビュー〜新ギタリスト加入(1990年 - 1991年)」の解説は、「ザ・シャーラタンズ」の解説の一部です。
「デビュー〜新ギタリスト加入(1990年 - 1991年)」を含む「ザ・シャーラタンズ」の記事については、「ザ・シャーラタンズ」の概要を参照ください。
- デビュー〜新ギタリスト加入のページへのリンク