レコーディング・エンジニアとして
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 14:47 UTC 版)
「大瀧詠一」の記事における「レコーディング・エンジニアとして」の解説
1973年から1979年まではレコーディング・エンジニア、ミキサー笛吹銅次としても活動。名前は吉野金次、伊藤銀次と来て次は「銅次」だという事で、笛吹童子をもじったもの。 また、1974年にははちみつぱい唯一のシングル盤「君と旅行鞄(トランク) / 酔いどれダンスミュージック」にもレコーディング・エンジニアとして参加している。 福生45スタジオを拠点にしていた事もあり、ソニー移籍後はエンジニア業から一旦離れたが、2000年代以降はラジオ番組をリマスタリングするようになり、2004年には福生45スタジオをリマスタリングの場として活用。 その後発表された30th Anniversary盤は、久々に笛吹銅次がエンジニアを手掛けている。 過去の作品は全て大瀧がエンジニアをしていると誤解されている事が多いが、ソニー移籍後はCD制作に関しては吉田保を中心とした外部のエンジニアを起用した。その他の音源に関してはその限りではなく、福生45スタジオに録音テープを持ち帰り、自らオーバーダビングする作業を度々行なっていた。『幸せな結末』のストリングスバージョン等は福生45スタジオで制作されたものである。
※この「レコーディング・エンジニアとして」の解説は、「大瀧詠一」の解説の一部です。
「レコーディング・エンジニアとして」を含む「大瀧詠一」の記事については、「大瀧詠一」の概要を参照ください。
- レコーディング・エンジニアとしてのページへのリンク