テマ制は計画的に導入された制度では無いとする説とは? わかりやすく解説

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テマ制は計画的に導入された制度では無いとする説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 08:36 UTC 版)

テマ制」の記事における「テマ制は計画的に導入された制度では無いとする説」の解説

かつては主流であったテマ制計画的に導入され制度であるとする説は近年では疑問視されるようになってきている。このように考えられるようになった理由としては、従来の説支持する記録10世紀以前資料からは見つかっていないこと、8世紀中頃まで旧来の行政区画に基づく民政機構テマとは別個に存在していたことが分かってきたこと、従来テマ発足した考えられていた時期に、実際に中央政府には軍隊対す糧食装備品調達補給担当する官職組織置かれており、中央政府長期わたって軍隊への補給確保維持図ろうとしていたことが明らかとなったこと、等が挙げられるこのようなことが明らかとなったことから、8世紀後期頃まで民政機構テマとは別で、民政業務テマ長官権限統合されていくのはそれ以降であり、長期間経て形成されたと考えられるようになっているテマ制と密接に関連する考えられてきた、テマ兵士農地分与する軍事保有制度についても、以下のように形成されたとする考え方示されている。 7世紀失われた帝国周辺領土から撤収した野戦機動軍の軍団テマ)が小アジア各地進駐し、優勢なアラブに対して縦深を活かした面的な抗戦続けていく中で、糧食等は現地調達に頼るようになり、調達有利な農村部部隊分散して宿営するようになったこのように農村部常駐するようになった軍隊現地社会の間では、新兵徴募現地民と将兵通婚などにより軍隊現地社会への同化現象進行し軍人への不動産集積進んだ軍隊への補給維持注力していた中央政府にとっても軍隊現地自活財政負担軽減され好都合であることから、この状況中央政府容認することとなり、制度として固定化されるに至った強大な軍事力擁するテマ皇帝対す反対勢力ともなり得たが、他方中央政府国土全体対す徴税機能と、その歳入軍事費その他に再配分する機能一貫して掌握し続けた。そのためテマ反対勢力となった場合も、割拠独立という形態には向かわず政権奪取目指し首都攻め上る形に向かうこととなった。 なお、テマ制古代ローマ以来国家体制大幅な変容もたらすものであり、このことからそれ以前時期帝国との連続性否定し新国家体制の成立解釈する説もある。 いずれにせよテマ制発足の経緯こそ不明であるものの、発足後増強整備政策的に推進された。テマ制を含む国家体制変容東ローマ国家防衛力大きく強化することとなり、ユスティニアヌス朝期より大幅に縮小した国家決し滅亡することはなかった。

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