チャルディラーンの戦いの敗戦とクズルバシュの台頭とは? わかりやすく解説

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チャルディラーンの戦いの敗戦とクズルバシュの台頭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 19:52 UTC 版)

サファヴィー朝」の記事における「チャルディラーンの戦いの敗戦とクズルバシュの台頭」の解説

一方サファヴィー朝成功は、オスマン帝国の支配下にありながら中央集権的な帝国からは政治的に疎外されていた東部中部アナトリア遊牧民帝国からの離反傾向呼び起こした1514年オスマン帝国スルタンセリム1世アナトリアの不安を一度取り除く決意固めアナトリア東部のチャルディランでサファヴィー朝軍と会戦した(チャルディラーンの戦い)。イスマーイール1世はこの戦いでこれまでの遊牧民同士戦い同じよう戦法決戦に臨むが、よく組織され歩兵大量火砲装備したオスマン軍前に惨敗したチャルディラーンの戦い敗戦によりサファヴィー朝多く将兵失い宗教的情熱支えられ軍事拡大時代終わり迎えたクズルバシュ占領地支配領土として分配され封建領主化しそれまで過大派に属すシーア派信条は、シーア派当時中心地だったシリアから迎えた穏健な十二イマーム派教えに取って代わられた。十二イマーム派はやがてペルシア社会浸透しサファヴィー朝宗教的情熱支えられ先鋭運動からテュルク系遊牧民貴族ペルシア人官僚タージーク)に支えられた、セルジューク朝以来伝統的なペルシアにおける遊牧イスラム王朝典型転化していったチャルディラーンの戦いの後、政治への興味失ったイスマーイール1世は酒に溺れ外交で対オスマン帝国同盟模索していたとも)、失意の中で1524年37歳亡くなった第2代君主シャーとなった息子タフマースブ1世はわずか10歳で、抑え失ったクズルバシュ君主後ろ盾の座を巡って力部同士内紛繰り返しサファヴィー朝王朝最初危機迎えた成人したタフマースブ1世シャイバーニー朝侵攻退け1533年クズルバシュでも有力者のフサイン・ハーン・シャムールーを処刑し部族抑えることに成功し親政開始したタフマースブ1世ペルシア系重視するなど人事面でクズルバシュ抑え対外的にはシャイバーニー朝侵攻防ぎオスマン帝国との戦争第一次オスマン・サファヴィー戦争英語版))ではスレイマン1世セリム1世の子)の盛んな攻勢をイラク・バグダードなど西部辺境割譲でしのぎ、北西コーカサス南部進出してグルジア方面勢力拡大したまた、首都タブリーズから南東ガズヴィーン移したのもタフマースブ1世治世である。 しかし1576年タフマースブ1世が死ぬと後継者を巡る争い起こりサファヴィー朝は再び危機迎えた実権タフマースブ1世の娘パーリー・ハーン・ハーヌム(ペルシア語版)が掌握し異母兄イスマーイール2世擁立し、翌1577年イスマーイール2世が死ぬとその兄ムハンマド・ホダーバンデ傀儡として擁立するに至るが、彼女もやがてムハンマドの妻マフディ・ウリヤ(英語版)に殺害されウリヤ敵対するクズルバシュによって殺された。タフマースブ1世抑えられていたクズルバシュ内乱起こしペルシア無政府状態となり、これを見てオスマン帝国シャイバーニー朝が再び侵攻開始し第二次オスマン・サファヴィー戦争英語版))、サファヴィー朝発祥の地タブリーズを含むアゼルバイジャンホラーサーン大部分失われた1579年にはオスマン帝国宰相ソコルル・メフメト・パシャ暗殺したことで一時的にオスマン帝国軍撃退した。しかし、ウリヤクズルバシュ対立再燃してマフディ・ウリヤも後宮絞殺されムハンマド長男ハムザオスマン・サファヴィー戦争敗北し1586年クズルバシュ暗殺され実権握ったクズルバシュ内部対立激化する無政府状態陥った

※この「チャルディラーンの戦いの敗戦とクズルバシュの台頭」の解説は、「サファヴィー朝」の解説の一部です。
「チャルディラーンの戦いの敗戦とクズルバシュの台頭」を含む「サファヴィー朝」の記事については、「サファヴィー朝」の概要を参照ください。

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