ダイヤ・運賃とは? わかりやすく解説

ダイヤ・運賃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/26 07:27 UTC 版)

開豊鉄道」の記事における「ダイヤ・運賃」の解説

1925年11月石家台 - 開原城間開業時ダイヤ1日6往復であった運賃三等20銭、二等30銭(いずれも奉天票)で、一等名目のみで存在しなかった。 1926年5月西豊延伸直後ダイヤでは、旅客列車全線を通す列車が4往復石家台 - 開原城間区間列車が3往復貨物列車全線を通すものが4往復運転される予定とされていた。ただし予定であるため実際にどうであったかは不明である。運賃石家台-西豊間が乙等が2元85銭・甲等が5元25であった。また貨物運賃全線で4元90であった。これらの運賃全て奉天票である。しかし既に相場下落始まっていたため、10日おきに運賃改正を行わなければならない状態であった1926年9月水害による全線休止からの復旧後報告書によるダイヤでは、全線を通す列車のみが判明しており、それによると2往復の運転で急行列車設定されていた。運賃この頃には現大洋票に変更され、乙等が9角5分・甲等が1元7角5分、急行料金が乙等5角・甲等7角5分であった1935年10月には全線を通す列車が2往復石家台 - 開原城間区間列車が4往復設定されていた。石家台を基準とした始発7時10分、終発14時40分で、最終上り列車到着16時29分と、全体的に早じまいダイヤであった全線を通す列車石家台発7時10分・12時40分、西豊7時20分・12時50分と、上下列車互いに両端の駅をほぼ同時に出るようになっていた。所要時間石家台 - 開原城間20内外石家台 - 西豊間3時40分ほどであった運賃不明である。 1940年8月には支線開通しており、石家台 - 南関間区間列車一部がそちらへの列車となっている。本線全線を通す列車が2往復石家台 - 南関間区間列車が4往復なのは同じであるが、石家基準始発が8時、終発18時30分で、最終上り列車到着1905分で以前よりも運行時間帯延びている。全線を通す列車石家台発8時・15時西豊発8時・15時と、やはり同時に両端発車するようになっている支線石家台発の始発6時50分、終発16時30分、東関発の始発7時19分、終発17時となっている。所要時間石家台 - 南関間17分、石家台 - 西豊間3時間、石家台 - 東関間25であった運賃石家台 - 南関間全線を通す列車場合三等2角・二等3角、区間列車支線列車場合二等1角、石家台 - 西豊間三等1元6角・二等2元4角5分、石家台 - 東関間二等1角5分であった1942年6月には開原駅乗り入れているが、区間運転や支線列車従来のまま石家台発で運転されていた。本線全線を通す列車が2往復石家台 - 南関間区間列車が3往復となり、石家基準始発10時終発18時25分で、最終上り列車到着1905分である。始発が遅いのは、朝の列車支線乗り入れているためである。全線を通す列車開原発が8時10分・14時40分、西豊発が8時30分15時であった支線石家台発の始発6時50分、終発16時30分、東関発の始発7時20分、終発17時となっている。所要時間開原 - 南関間が37分、石家台 - 南関間17分、開原 - 西豊間が3時間20分石家台 - 東関間25であった運賃石家台 - 南関間区間列車支線列車二等片道1角5分・往復2角5分、開原 - 西豊間が三等2元4角5分・二等4元5分、石家台 - 東関間二等片道2角5分・往復3角5分であった

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ダイヤ・運賃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 00:05 UTC 版)

奉天市地下鉄道」の記事における「ダイヤ・運賃」の解説

運行系統第一期では一号線が牛心街-東塔間の全線運転と奉天駅前-大東門間区間運転の2系統二号線三号線南十條-昭安街間の直通運転1系統の計3系統予定されていた。運行間隔一号線全線運転・区間運転ともに6分間隔二号線三号線直通が3分間であった。つまり一号線末端部が6分間隔である以外は、全線3分間隔の運転となっていた。 第二期初期一-四号線全通時にはこれを大幅に変更一号線が牛心街-東陵間の全線運転と奉天駅前-大西門間区間運転の2系統なのは変わらないが、二・三四号線互いに直通可能なのを利用してかなり複雑な系統予定された。二号線単独運転としては永信区-瀋海区広場間の全線運転、三号線単独運転としては賽馬場-五里河子間の全線転にしぼられ区間運転がすべて路線間の乗り入れとなった二号線から三号線乗り入れる砂山-万年街間と瀋海区広場-五里河子間、二号線から四号線乗り入れる砂山-孤家子間の3系統設定された。運転間隔はすべて6分間隔であり、多いところで2分間隔の運転となっていた。 第二期後期五号線一部開通時には、この複雑な運行系統整理される。一号線が牛心街-東陵全線運転のほか、五号線乗り入れる奉天駅前-三家子間の区間運転の2系統になる。二号線は永信区-瀋海区広場間の全線運転と、四号線乗り入れ砂山-孤家子間の区間運転の2系統となり、三号線との乗り入れ廃止これに伴い三号線は賽馬場-五里河子間の全線運転と万年街-五里河子間の区間運転の2系統みになる運行間隔全線4分間隔まで縮められ予定であった運賃に関して並等一等二等級制採用予定しており、並等7銭・一等10銭での旅客収入額試算残されている。

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ダイヤ・運賃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 10:16 UTC 版)

本庄電気軌道」の記事における「ダイヤ・運賃」の解説

ダイヤ1918年時点では1日8往復で、本庄発は始発8時・終発19時5分、児玉発は始発7時10分・終発18時5分となっていた。のち1925年には1日9往復となり、本庄発は始発8時5分・終発1840分、児玉発は始発7時25分終発17時45分となった遅くとも19時過ぎには運行終えることになり、全体的に早じまいダイヤであった運賃1918年時点全線片道19銭・往復35であった。しかしこの時期第一次世界大戦の影響物価騰貴していたため、ちょくちょく値上がりがあり、1919年には片道21銭・往復41銭、1925年には片道27となっていた。

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