ソマリア内戦とプントランド・ソマリランド紛争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 08:21 UTC 版)
「バハン」の記事における「ソマリア内戦とプントランド・ソマリランド紛争」の解説
1991年にソマリア内戦となる。 2006年の戦闘が原因で、ワルセンゲリ氏族はプントランドと距離を取ったが、ソマリランドにも参加せず、新たにマーヒルという国を作った。ただし間もなくプントランドに吸収される形で消滅。 2007年にソマリランドがそれまでプントランド領だったラス・アノドを占領し、それを機会にプントランド・ソマリランド紛争が勃発。 2008年2月、ソマリランド軍がバハンに進駐。バハンの地元兵の主力は不在であり、抵抗なく占領できた。 2013年5月、バハン市長のFaisal Abdullahi Fatahとソマリランド軍司令官が、トルコからの支援物資の横領を行ったとして互いを非難。 2013年12月、プントランド大統領がバハンを訪問。 2014年3月21日、バハンにソマリランド軍が侵入。 2015年10月、ソマリランドの選挙啓発代表団が当時のソマリランドの拠点の一つであるエリガボからバハンに向かったが、その半分ほど(50キロメートル)東に行ったところでプントランドと地元警察に逮捕され、バハンの刑務所に一晩入れられた。 2016年から2017年にかけてバハン地区では旱魃となり、郊外の住民の多くがバハンなどの都市部に移住した。 2016年7月、翌年のソマリランド選挙の宣伝を行うため、ソマリランドの国防省がバハンを訪問。 2017年のソマリランド選挙で、バハンではワダニ党(英語版)が最も多くの議席を獲得した。 2017年11月、プントランドの安全保障長官がバハンを訪問。 2018年1月初め、ソマリア連邦政府の計画長官ジャマル・ハッサン・モハメドがバハンを訪問。 2018年1月8日、ソマリランド軍とプントランド軍がトゥカラクで戦闘を行った(トゥカラクの戦い(英語版))。ここ数年のソマリランド東部(プントランド西部)の戦いは、主に地元氏族同士の戦闘だったが、これは久しぶりのソマリランド軍とプントランド軍の本体同士の戦いだった。これを契機にソマリランド軍とプントランド軍との戦闘が活発化し、ワルセンゲリ氏族の政治の中心都市は、昔のラス・コレー、ハダフティモから、バハンへと変わった。 2018年8月、プントランド大統領がバハン市議会を解散。 2018年9月、プントランド大統領がバハンで閣議を実施。 2018年9月、プントランドの兵士がワルサンガリの長の一人であるハッサン・アリ・ジブリール(Suldaan Xasan Cali Jibriil)をハダフティモとバハンの間の道路で殺害し、プントランド軍に逮捕された。ただしこの事件は、ハッサン・アリ・ジブリールがバハンの検問所を車で突破したため警察官がそれを阻止するために発砲したとも報じられている。この長の地位は息子のハッサンが継承。 2019年8月、ソマリランド軍はワルサンガリ氏族出身の司令官に対し、バハンを占領するよう指示したが、この司令官らは一族との対立を避けるためにプントランドに亡命した。以後、バハンはプントランドの影響が大きくなる。 2019年5月にアリ・フセイン(Cali Xussen)が市長を辞任。2019年9月には、アフメド・マハメド・ティミル(Axmed Maxamed Timir)が市長となり、26歳の女性が副市長となった。この時点のバハン議会は評議員が28名であり、そのうちの9名が女性である。この選挙はプントランド内務省が主催した。 2019年8月、プントランドの内務長官がバハンを訪問。 2020年10月、バハンのプントランド軍の一部がソマリランドに亡命。この中には2019年5月にソマリランドからプントランドに亡命した兵士もいた。 2021年1月、バハンの地方政府がソマリランド選挙に向けた有権者登録に協力的だったとして、プントランド政府は軍を派遣し、ソマリランド政府に関するあらゆるものが除去された。なお、バハンの地方政府がソマリランド選挙に興味を持っているのは、ソマリランドの開発プロジェクトの誘致が狙いだといわれている。 2021年3月、Somaliland Todayは、Shidan、ブーホードレ、バハンがプントランドの政権下にあり、バハンに軍事基地が作られたと報じている。
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