ソマリア共和国とクーデター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 03:37 UTC 版)
「プントランドの歴史」の記事における「ソマリア共和国とクーデター」の解説
1960年、イタリア領ソマリランドとイギリス領ソマリランドを合わせる形で、ソマリア共和国が誕生した。後にプントランドとして独立するハルティ氏族からは、ソマリアの初代、2代目首相、2代目大統領などが選ばれるなど、政府要職の地位が与えられた。 クーデターで3代目大統領となったモハメド・シアド・バーレは、ダロッドではあったがハルティとは異なるマレハン(英語版)氏族出身である。バーレは自政権の終わりに、自分が所属するマレハン氏族の優遇措置を取った。1978年にハルティのマジェルテーンの一族がクーデターを企てるが失敗し、多くが処刑された。1981年、生き残ったマジェルテーンの有力者の一人アブドゥラヒ・ユスフは、軍閥ソマリ救済民主戦線(英語版) (SSDF) を設立する。SSDFは当初はイサックやハウィエなどハルティ以外の氏族も含んでいたが、やがてマジェルテーン氏族中心の軍閥となる。 なお、SSDFに限らないが、ソマリ族の軍閥は、家族単位の小軍団が親族同士で少しずつ大軍団を作っていく構造なので、異なる氏族との戦闘では団結するが、軍閥内の小氏族で仲間割れしやすい傾向にある。SSDFあるいはハルティは、以後も内部抗争を繰り返すことになる。
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