ソマリアへの帰還
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 00:18 UTC 版)
「ハッサン・ダヒール・アウェイス」の記事における「ソマリアへの帰還」の解説
2009年1月、ソマリア再解放連盟穏健派のシェイク・シャリフ・シェイク・アフマドがソマリア暫定連邦政府の大統領に選出される。穏健派に反発するアウェイスら一派は2月、ソマリア再解放連盟を離脱してヒズブル・イスラムを結成。アウェイスは4月にソマリアに帰還。ソマリアにはソマリア暫定連邦政府に味方する新たな軍閥アル・スンナ・ワル・ジャマーが出現する。アル・スンナ・ワル・ジャマーは6月にアウェイスの殺害を公表するが、これは誤報だった。 ソマリアのイスラム過激派若手の多くはヒズブル・イスラムに参加せず、別の過激派団体アル・シャバブに参加する。アウェイスはアル・シャバブの精神的指導者と目されており、当初こそアル・シャバブとヒズブル・イスラムとは協力関係にあったが、2009年9月のアル・シャバブによるラジオ局焼き討ち事件をきっかけに対立が深まる。ヒズブル・イスラムは2010年2月に一派がアル・シャバブに鞍替えして弱体化。12月に事実上アル・シャバブの傘下に入る。 2011年8月、ソマリアのアフリカ連合派遣部隊が反撃に出て、アル・シャバブはソマリアの首都モガディシュから撤退。10月にはケニア軍のアル・シャバブ支配地域侵攻が開始され、アル・シャバブは衰退期に入る。アル・シャバブが支配地域最後の大都市キスマヨを放棄する直前、アウェイス率いるヒズブル・イスラムはアル・シャバブからの離脱を宣言。
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