セルティックス人事
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「ダニー・エインジ」の記事における「セルティックス人事」の解説
2003年、エインジは現役時代の大半を過ごしたボストン・セルティックスのバスケットボール部門ディレクター兼ジェネラル・マネージャーに就任した。以後、エインジが行った人事はしばしば論争の的となっている。 エインジはGMに就いて最初に行ったトレードで、オールスター選手のアントワン・ウォーカーを放出し、さらにシーズン中も大型トレードを実施してリッキー・デイビスを獲得している。年をまたいだ2004年1月にはジム・オブライエンが「バスケットボールの哲学が違う」とエインジとの確執を仄めかしながら、チームに辞任を申し入れた。暫定ヘッドコーチとしてジョン・キャロルが就いたが、彼もシーズン終了後に解雇された。後任にドック・リバースを迎えた。オフには放出したばかりのウォーカーをトレードで呼び戻し、さらにゲイリー・ペイトンを獲得。ベテランを獲得したことが功を奏し、2004-05シーズンには12シーズンぶりにディビジョン優勝を遂げた。 この直後、エインジは突如若手中心のチーム造りに方針を転換し、ウォーカーとペイトンをわずか1シーズンで放出した。エインジは若手選手の成長に賭けたが、2005-06シーズンは4シーズンぶりにプレーオフ不出場となり、翌2006-07シーズンにはチーム記録となる18連敗を喫し、カンファレンス最下位に沈んだ。 このシーズンの後、チーム唯一のスター選手ポール・ピアースが一向に補強の進まないチームに対する不満を公に語り始めた。チームの大黒柱の怒りを受け、エインジは若手中心の方針を捨てざるを得なくなり、ここから補強に向けて奔走するようになる。 カンファレンス最下位に沈んだことで2007年のNBAドラフトの高順位指名権が得られると踏んだエインジは、まずはドラフトにエントリーする可能性の高いカレッジ選手に目を付けた。しかしカレッジ界の大物選手ケビン・デュラントの母親と接触したことが協会の規定に抵触したため、3万ドルの罰金を科せられた。不運は続き、ドラフトロッタリーで引き当てた指名権は5位という期待外れのものだった。ドラフトでの補強が期待できなくなったエインジは、トレードによる補強を試みようとする。 最初に獲得を試みたのが、フェニックス・サンズ所属のショーン・マリオンだったが、両チームの折り合いが着かずに破談となった。他にも大物選手獲得に向けて幾つかの交渉の席を持ったが、いずれも成立しなかった。このオフにはミネソタ・ティンバーウルブズ所属の大物選手、ケビン・ガーネットがいよいよウルブズを離れるのではないかという噂が巷を駆け抜け、当然のようにエインジのセルティックスもガーネット獲得に向けて名乗りを上げ、一時は成立寸前とまで言われたが、ガーネット本人がセルティックス行きを拒否した。 いずれの交渉も破談となった原因は、セルティックスがリーグでも最弱のチームの一つであるということに他ならず、将来の見えないチームに行きたがる大物選手は居なかった。エインジとセルティックスはいよいよ進退窮まったかに見えた。
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