スペンサーの社会学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 14:45 UTC 版)
「ハーバート・スペンサー」の記事における「スペンサーの社会学」の解説
スペンサーは、オーギュスト・コントの実証主義(positivism)と社会学思想に大きな影響を受け、社会学の創始者の一人としても有名である。コントによれば、社会は三段階の一般的な法則によって進歩するという社会文化進化論を提唱していた。しかしスペンサーは、当時の生物学の影響を受け、コントの実証主義のイデオロギー的な側面を否定し、自身の唱えた生物学的、心理学的、社会学的に適応可能な進化の原理に基づいた社会学理論を構築しようとした。一般にこの社会学理論はラマルク主義と、俗に言う社会ダーウィニズムを混ぜ合わせたものとされているが、この見解はおおよそについては間違いである。一部社会ダーウィニズムとされる思潮と一致するものもみられるが、彼の著作に置いて中心となるのは社会の発展について、軍国的な社会と産業的な社会がどのように進化するのかであった。階層と服従の関係に構造化された軍国社会は、単純で未分化であり、産業社会は、自発的な契約上の社会的義務に基づいて、複雑であると区別されていた。スペンサーが「社会的生物」として概念化した社会は、普遍的な進化の法則に従って、より単純な状態からより複雑な状態へと進化していった。スペンサーは、社会の進化が(彼が最初に信じていたように)アナーキズムをもたらすのか、それとも、契約の執行と対外防衛という最低限の機能に縮小されたとはいえ、国家の継続的な役割を指し示しているのかについて、今では曖昧になっているが、産業社会は、『社会静学』の中で展開された理想的な社会の直系の子孫であった。こうしたスペンサーの社会学は有機体のメタファーを用いて社会を「システム」として把握し、これを、維持、分配、規制の各システムに分かち、社会システムの「構造と機能」を分析上の中心概念とする。そのため、社会有機体説と呼ばれる。この点で、現代社会学における構造機能主義の先駆とされる。多くの人は、それは積極的に危険であると考えていた。ヴィルヘルム・ディルタイのようなこの時代の 解釈論者は、自然科学(Naturwissenschaften)と人間科学(Geisteswissenschaften)の 区別を開拓することになる。アメリカでは、社会学者のレスター・フランク・ウォードがアメリカ社会学会の初代会長に選出され、スペンサーの自由放任主義と政治倫理学の理論に対して執拗な攻撃を開始した。ウォードはスペンサーの仕事の多くを賞賛 していたが、スペンサーの以前の政治的バイアスが彼の 思想を歪め、彼を道に迷わせていたと信じていた 。20世紀に入る頃には、ドイツの社会学者の第一世代、特にマックス・ウェーバーは、方法論的な反実証主義を提示していた。しかし、自由放任主義、適者生存、自然法則のプロセスにお ける最小限の人間の干渉というスペンサーの理論は、 経済学や政治学の社会科学の分野で永続的であり、さらに は増大していく魅力を持っていた。
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