シリアにおけるニザール派とは? わかりやすく解説

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シリアにおけるニザール派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 10:24 UTC 版)

ニザール派」の記事における「シリアにおけるニザール派」の解説

1095年ニザールムスタアリーによるファーティマ朝イスマーイール派指導争いで、シリアイスマーイール派大部分、特にダマスカスアレッポなどのイスマーイール派ことごとくムスタアリーにつき、ニザール支持派ハマー北部などシリア中部山岳地帯中心にごく少数擁する過ぎず小さなコミュニティ分かれた群小勢力に過ぎなかった。しかし1100年ころからハサニ・サッバーフによってアラムートからシリアにダーイーが派遣されるようになり、シリアにおけるニザール派の再組織化急速に進みムスタアリー派と争うようになる。しかし、シリアの政治状況において有力な勢力なるには以降半世紀を必要とした。 このころにはシリアにおけるファーティマ朝衰勢明らかになっており、シリア・セルジューク朝および麾下諸政十字軍などが混在する非常に複雑な状況になっていた。ニザール派はこの混乱背景ハマー北部から徐々に勢力伸ばそうとするが、イランにおけるのと同様に要塞奪取試みてたびたび失敗している。1126年にはダマスカスブーリー朝初代トゥグテギーンはブーリー朝統治域内におけるイスマーイール派公認し十字軍との前線たるバーニヤース城砦与えている。しかしトゥグテギーンを継いだブーリーは反イスマーイール派転じダマスカスにおける反イスマーイール派暴動荷担した。ニザール派ダマスカスから一掃され弱体化し、バーニヤース城砦十字軍の手に渡る。これ以降ニザール派はその拠点ハマーの西、ジャバル・バフラーに移す。1130年代にはこの区域いくつかの城砦購入ないし獲得1140年には以降拠点となるマスヤーフ城砦得たシリアニザール派は、アラムートから派遣されるダーイーによって指導された。その中でもっとも有名なのがラシード・ウッディーン・スィナーンで、1165年ころからシリアニザール派指導している。この時期アラムートでのハサン2世統治期に当たり、シリアでもハサン2世のキヤーマ宣言受け入れられている。スィナーンはフィーダーイーを組織化し戦闘投入、さらに暗殺も行わせた。トリポリ伯レーモン2世英語版)(1152年没)やモンフェラート侯コンラート1世(コンラド)(1192年没)もその犠牲者といわれるヨーロッパにおける「暗殺教団伝説の「山の老人」はスィナーンが直接モデルである。スィナーンはザンギー朝十字軍、さらにサラーフッディーンなどの諸勢力のあいだで同盟対立巧みに利用しニザール派勢力拡大した。またアラムート対し独立傾向示したが、1192年ころにスィナーンが没すると、シリアニザール派も再びアラムート絶対服従立ち戻りつつ、シリア複雑な情勢生き延びていった。 イランニザール派政権モンゴル帝国によって崩壊すると、シリアニザール派モンゴル圧力を受け、さらに加えてマムルーク朝圧力も受けるようになる1273年には最後城砦マムルーク朝バイバルス降伏したシリアニザール派マムルーク朝への服従条件信仰許されジズヤ支払ってコミュニティー維持した周辺ヌサイリー派との争い続けながら、マムルーク朝オスマン朝の時代生きたシリアニザール派大部分ムハンマド・シャー派後述であったが、19世紀までにイマーム存在確認されなくなると、インド使節派遣してイマーム捜しを行うものの果たせず、一部カースィム・シャー派後述)のアーガー・ハーンイマームとすることになった。現在でもカースィム・シャー派として約30,000人、ムハンマド・シャー派として約15,000人がシリア残っている。

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