シリアとアラム人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 07:16 UTC 版)
「前1200年のカタストロフ」の記事における「シリアとアラム人」の解説
ヒッタイトの滅亡、エジプトの弱体化はその勢力下であったシリア、パレスティナを解放することとなった。北シリアでは滅亡したヒッタイトの人々がセム系、フルリ系の人々を支配下にしたと考えられている新ヒッタイトが支配し、中部シリアのハマーも新ヒッタイトに占領された。また、アラム人らがユーフラテス川上流、ハブール川周辺へ移住、新ヒッタイト、アッシリアとしのぎを削りながらサムアル (en) 、ビト・アグースィ、ビト・アディニ (en) 、ビト・バヒアニ(de)などの小国家を打ち建て、さらに紀元前1000年にはシリア中部から南部、さらにはメソポタミア南部にまでその勢力を広げ、その一派であるカルデア人は新バビロニアを建設することになる。そしてダマスクスはベンハダド2世 (en) やハザエル (en) らの時代、勢力を拡大した。しかし、広範囲に広がったアラム人らは結局、統一国家を築くことはなかった。
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