シューホフの作品
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シューホフは、1880年代から、建設に使用する材料、時間、労働を最少量にする屋根の設計に取り組んでいた。シューホフの計算は、おそらくは数学者パフヌティ・チェビシェフによる代数方程式の近似解法の業績に由来するものであろう。効率的な屋根の構造を数学的に追究したシューホフがたどり着いたのは、構造的にも、空間的にも革新的な新しいシステムの創案であった。数学者ニコライ・ロバチェフスキーは、シェーホフが編み出した構造を数学的理解を踏まえて「双曲線」と名付け[要検証 – ノート]、シューホフは新たな構造、建設システムに繋がる一連の方程式を派生させ、回転双曲面、放物面の数学的裏付けとして知られるようになった。 1896年のニジニ・ノヴゴロドで開催された全ロシア産業工芸博覧会 (Всероссийская выставка в Нижнем Новгороде ) の展示パビリオンに用いられた鋼鉄製の格子シェル(英語版)が、シューホフの新システムとしてはじめて公開された事例であった。このニジニ・ノヴゴロドの博覧会では楕円形のものと円形のもの、合わせて2棟のパビリオンが建設された。この2棟の屋根は二重線織面の格子シェルになっており、直線状の山形鋼と平鋼の格子だけで構成されていた。シューホフ自身は、「レースの塔」すなわち「格子塔」を意味する「Ажурная Башня」とこうした構造物を呼んでいた。1895年にシューホフが出願した特許は、1899年に承認された。 シューホフは次に、この効率的で容易に建設できる格子シェルのシステムを、重量物を最上部に載せるタワーへの応用、すなわち給水塔の課題に注力した。その解答のヒントは、編み上げられた籠の上に重量物を載せたときの動きを観察しているうちに見つかった。ここでも、二重線織面を成す直線状の山形鋼と平鋼が織りなす比較的軽量な構造が採用された。その後20年間にわたって、シューホフはこの種の鉄塔を200近く建設したが、その中には全く同じものはなく、そのほとんどは12メートルから68メートルの高さがあった。 シューホフは、遅くとも1911年には、双曲面の構造複数を積み上げて塔を構成するという構想に取り組み始めていた。積み上げる段の数を増やせば、底部と頭頂部において形状を決する2つの円環の中間のくびれが目立たない形で、塔の頭頂部により大きな重量を載せられる。段数を増やしていくことで、全体の形は頭頂部がより小さい、ほとんど円錐に近い形になっていった。 1918年、シューホフは、モスクワのラジオ送信塔を、9段の双曲面構造を積み上げて建設する構想を展開させた。シューホフは、エッフェル塔の4分の1より少ない鋼材で、高さはエッフェル塔を50メートル凌ぐ、高さ350メートルの塔を設計した。シューホフの設計に必要とされた双曲面構造の分析計算や、部材の大きさなどの計算などは、1919年2月までにすべて完了した。しかし、この350メートルの塔の建設に必要とされた2200トンの鋼材は、調達が不可能だった。1919年7月、レーニンは、塔の高さを150メートルに抑えるよう指示を出し、それに必要な鋼材は陸軍の軍需物資から回されることになった。この小さい規模での塔の建設は、6段の双曲面構造を積み上げる形で数ヶ月のうちに着工され、1922年3月にシューホフ塔として完成した。
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