シューベルト歌曲の「改竄」者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/04/20 13:18 UTC 版)
「ヨハン・ミヒャエル・フォーグル」の記事における「シューベルト歌曲の「改竄」者」の解説
前述のようにフォーグルはシューベルトの歌曲の普及に大きな貢献を果たしたが、生前のキャリアでははるかにシューベルトの上を行くフォーグルは、必ずしもシューベルトの書いた音符に忠実ではなかった。一例としては、1829年にアントン・ディアベリの元から出版された『美しき水車小屋の娘』の楽譜には記号の変更や装飾音の追加などが多大に行われ、その「犯人」としてディアベリとともに槍玉にあげられた。ディアベリ版『美しき水車小屋の娘』は1864年にオリジナル版の出版が復活したあとも、1880年代まで出版が行われていた。 しかし、フォーグルの改竄は悪意からのものではなかった。むしろ、息継ぎの関係や歌う際の技巧的な難しさを和らげるため、あるいはアクセントの追加のために控えめに行われたというのが真相であった。フォーグルは1831年に友人に宛てた手紙の中で、自分の修正によって、シューベルトの歌曲において歌詞と旋律の一体性が高まったと弁明している。また、修正の及ばない範囲においても、瞬間的に語り言葉や叫び声を加えるといった独特の歌唱をしばしば行っており、これは「シューベルトの歌曲は、厳密にはどの声域にも合わない」という誤解を生みだす結果となった。
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