サンドラ・ジュリアンの招聘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 04:25 UTC 版)
「現代ポルノ伝 先天性淫婦」の記事における「サンドラ・ジュリアンの招聘」の解説
『女番長ブルース 牝蜂の逆襲』製作中に東映の国際部パリ支局から、「フランスの女優が日本に強い関心を寄せ、東映の映画に出演してもいいと云っている」という連絡があった。鈴木は「誰だ、その女優は?フランソワーズ・アルヌールか?それともミレーヌ・ドモンジョか?」と贔屓にしていたフランスの人気女優の名前を挙げると天尾は一瞬沈黙し、「もっといい女優だ。今、日本で出演作を上映している。『色情日記』というタイトルだ。観ておいてくれ。これで池の第三弾の目玉が出来るぞ」と言った。三作目にもなるとマンネリなどと批判されるのが常なので、何か強いインパクトが要ると考えた天尾が、日本人好みの清純派の美貌を誇るフランスのポルノ女優に目を付け、池玲子との東西二大ポルノ女優共演を思いついた。当時は西洋女性の肉体に関して、今日では想像も出来ないくらいの憧憬や渇望があった。東映は1971年8月2日にサンドラ・ジュリアンが『色情日記』(日本ヘラルド配給)のプロモーションで来日したついでに、本作より先に池玲子の主演二作目だった『女番長ブルース 牝蜂の逆襲』でサンドラを池と共演させる計画を立てていたが、サンドラが初めての長旅と東京の暑さに生理日も重なり体調不良を起こし、最初の記者会見で顔面蒼白で現れ、ヌードにはなったが、中落合の聖母病院に肝臓疾患で入院し、以降、8月12日の帰国までビッシリだった予定は全てキャンセルし映画出演もなくなった。東映は日仏ポルノ女優の共演を諦めきれず、東映国際部を通して再びサンドラにアタックし、本作で共演を実現させた。ギャラは東映の中堅クラス(推定50万円)、プラス京都見物、京都人形のおみやげ。 サンドラ・ジュリアンは両親がイタリア系移民のイタリア系フランス人。1971年の雑誌メディアには1952年生まれの20歳と書かれている。身長170cm、B90cm、W58cm、H91cm。当時のポルノ女優にしては珍しく知的な美貌で、髪は金髪ではなく赤みがかかったブラウン。瞳もブラウン。スレンダーながら出るところはバッチリで出て、特にお尻の形が非常に良かったとされる。池玲子は「ハダカでも彼女に負けられませんが、演技でも負けません。ヤマトナデシコのメンツにかけても負けらせません」と決意を述べた。外国のポルノ女優が日本の映画に出演するのは初めてで、当時の欧米のポルノ映画は、ボカシや修正も併せて、題名や宣伝で扇情させても中身は伴わない物も少なくなかったため、日本のマスメディアは「北欧やアメリカ並みのポルノは無理としても、看板に偽り有りの映画はゴメン。ニセモノにならないよう東映さん、ガンバッテ」などとおちょくった。
※この「サンドラ・ジュリアンの招聘」の解説は、「現代ポルノ伝 先天性淫婦」の解説の一部です。
「サンドラ・ジュリアンの招聘」を含む「現代ポルノ伝 先天性淫婦」の記事については、「現代ポルノ伝 先天性淫婦」の概要を参照ください。
- サンドラ・ジュリアンの招聘のページへのリンク