サイゴン陥落以降のベトナム国外における公的な扱い
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「ベトナムの国旗」の記事における「サイゴン陥落以降のベトナム国外における公的な扱い」の解説
詳細は「黄旗掲揚運動(ベトナム語版)」を参照 1975年のサイゴン陥落以降、「ベトナムの共産化」に抵抗する多くのベトナム人が国外へ難民(ボートピープル)として脱出し、アメリカ合衆国(ベトナム系アメリカ人)やオーストラリア(ベトナム系オーストラリア人)、カナダ(ベトナム系カナダ人(英語版))等の国々で独自のコミュニティーを築いていった。これらの国々では、共産化された統一ベトナム(ベトナム社会主義共和国)政府の正統性を認めない反共主義の一部越僑個人、ないしベトナム革新党や臨時ベトナム国家政府(英語版)等の反共的な思想に基づきベトナム民主化運動(英語版)を展開する団体により、黄底三線旗が「共産主義に依らない自由なベトナムの象徴」として民間用途で使用され続けた。黄底三線旗を使用する人々はベトナム共産党政府が使用する金星紅旗をベトナム国旗として否定したが、ベトナム難民の最大受け入れ国であるアメリカがサイゴン陥落以降のベトナムと国交を有さなかった為、ベトナム国旗を巡る問題は1995年まで特に問題とならなかった。 ベトナム国外における黄底三線旗の扱いは、1995年7月11日の米越関係(英語版)正常化に伴い、アメリカ国内の公的な場所で金星紅旗が掲揚されるようになってから変化し始めた。アメリカの反共系ベトナム人コミュニティーは国交正常化直後から公的な場所での金星紅旗掲揚に激しい反発を示し、1999年には個人経営のレンタルビデオ店が店頭に金星紅旗とホー・チ・ミンの肖像画を掲げたことを機に大規模な抗議行動が発生した(1999年反ホー・チ・ミンデモ(ベトナム語版))。その際、抗議活動の一環として行われた裁判で「共産主義の象徴の公開、及びそれに対する抗議のいずれもが憲法修正第1条で保護される」との判例が出されたため、反共系ベトナム人の間から公的な場で積極的に黄底三線旗を掲揚する黄旗掲揚運動(ベトナム語版)が展開されるようになった 運動では、ベトナム共産党に抗議するデモ活動や日常の場に加え、公共施設でも黄底三線旗を「ベトナムの自由と文化的な遺産(伝統)の象徴」として掲揚することが目標とされ、運動の支持者らが各地の立法・行政機関に対しロビー活動を展開した。その結果、2003年にリトル・サイゴン(英語版)を有するカリフォルニア州・オレンジ郡内のウェストミンスター(英語版)で公的な場での掲揚が最初に認められ、黄底三線旗を公的な旗を認めた中央政府は存在しないものの、2009年末までにおよそ100に及ぶアメリカ・オーストラリアの地方自治体が黄底三線旗を公的な旗であると認めている。 なお、日本では公的機関が黄底三線旗の掲揚を認めた事例が無いものの、中国に対するデモ活動(2008年北京オリンピックの聖火リレーや2010年尖閣諸島抗議デモなど)で私人が使用する場合もある。これは、ベトナム共和国が領していた西沙諸島が西沙諸島の戦いによって中国に占領された事や南海諸島を巡る領土問題で中国を批判しつつ、現行のベトナムの体制に対する批判から現行のベトナム国旗である金星紅旗を国旗として認めないという意思表示で使用されている。 マサチューセッツ州・ボストンの市庁舎に掲揚された黄底三線旗(2018年4月30日) ゴイ・ベト・デイリーニューズ(英語版)(カリフォルニア州)の社屋前に掲揚された黄底三線旗(2014年5月18日) テトを記念して黄底三線旗を掲げながらカリフォルニア州・サンノゼの街中をパレードする人々(2009年3月13日) 黄底三線旗を掲げながらカリフォルニア州・オレンジ郡のリトル・サイゴン(英語版)をパレードする人々(2008年2月8日) 2008年北京オリンピックの聖火リレーをサンフランシスコで見守る人々。画像左側に黄底三線旗が写っている(2008年4月9日)。 チベットの人権問題に抗議するドイツのデモ。画像右側に黄底三線旗が写っている(2008年)。 頑張れ日本!全国行動委員会が主催した中国のアジア侵略・人権弾圧を阻止する抗議デモ。日の丸、台湾旗、雪山獅子旗、東トルキスタンの旗と共に黄底三線旗が掲げられている(2010年11月13日)。
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