コロンビア号事故
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「スペースシャトル計画」の記事における「コロンビア号事故」の解説
「コロンビア号空中分解事故」を参照 2003年2月1日、STS-107 においてコロンビア号が再突入中、着陸のおおよそ 16 分前に分解する事故が発生し 7 名の飛行士が犠牲となった。ふたたび事故調査委員会が組織され、打ち上げ時に外部燃料タンクから発泡断熱材でできたバイポッド・ランプが剥離し、これがオービタの左翼に衝突、穴が開いたことが原因とされた。この事故では、以前に同様に断熱材脱落が起きていたこと、技術陣の懸念にもかかわらずミッションが中断されることなく続いたことが判明し大きな問題となった。その後、バイポッド・ランプは必要性がないことから取り外されるなどの改修措置がとられたが、剥離した断熱材が衝突する事故はその後も何度か発生している。この事故によって 29 か月間に渡ってミッションが中断し、モジュールを運べる唯一の大型機であるスペースシャトルの飛行停止によって建設中であった ISS の建築に大きな影響が発生し、国際宇宙ステーションは最小限度のクルーである2名で運用され、物資と人員の輸送はロシアの輸送船に頼ることとなった。 事故後初の打ち上げとなり、「リターン・トゥ・フライト」と呼ばれた2005年の STS-114 は類似した発泡断熱材が異なる部分から剥がれ落ちたものの、打ち上げに成功した。破片はオービタにぶつかることがなかったためにシャトルは無事に着陸に成功している。2 回目の「リターン・トゥ・フライト」ミッションとなった STS-121 は2006年7月4日に打ち上げられた。より前に行われる予定であった 2 回の打ち上げは長引いた破天と射場近くの強風によって中止され、STS-121 はチーフエンジニアや安全担当の反対にもかかわらず行われた。外部燃料タンクの発泡断熱材の中の 5 インチ (12.7 cm) の亀裂が懸念材料となっており、しかしながらミッション運用部は打ち上げスケジュールを整えた。このミッションは ISS のクルーを 3 人に増加させ、スペースシャトルディスカバリーは2006年の7月17日にケネディ宇宙センターの15番滑走路に着陸した。 コロンビア事故調査委員会は、報告書の中で ISS に飛行するシャトルのクルーのリスクを低減するために、コロンビアのようなダメージをシャトルのオービタが受けて再突入が安全でない場合には ISS をクルーが救援を待つための避難所として利用できるとしている。委員会は残りのフライトの間、シャトルの飛行はステーションのそばで行われるべきであるとしている。「リターン・トゥ・フライト」より前にNASA長官のショーン・オキーフ(英語版)はコロンビア事故の前に計画されていた、ハッブル宇宙望遠鏡の最終補修ミッションの実行するかどうかを排除して将来のシャトル飛行計画では ISS への飛行が行われると宣言していた。しかしながら、実際は NASA の倉庫には何百万ドルもの額のハッブル望遠鏡のアップグレード用機材が準備され、輸送を待つばかりであった。宇宙飛行士を含む多くの反対者は NASA にこのミッションを考え直すように求めたが、最初から指導部の立場は固まっていた。2006年の10月31日、NASAはアトランティスの 5 度目のハッブル望遠鏡修理ミッションへの打ち上げが2008年8月28日に計画されていることを公表した。しかしながらこの計画のための緊急救援打ち上げミッション STS-400 なども組み入れた結果、SM4/STS-125 の打ち上げは2009年5月に伸びている。 STS-121 の後、すべての後続ミッションは大きな問題を起こさずに完了され、ISS の建築も継続されている。2007年8月の STS-118 のミッションの間、オービタは再び断熱材の断片に衝突しているが、このダメージはコロンビアが受けたダメージと比べればかなり小さいものであった。2005年9月から2008年の初めにかけて、シャトルの計画マネージャーはウェイン・ヘールであった。ヘールは NASA の戦略的パートナーシップの次席局長補となった。2005年の11月からヘールの副官になったジョン・シャノンは後にシャトルの計画マネージャーとなっている。
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