グランプリでの戦績とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > グランプリでの戦績の意味・解説 

グランプリでの戦績

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 18:02 UTC 版)

メルセデス・ベンツ・W125」の記事における「グランプリでの戦績」の解説

W125は1937年5月のトリポリグランプリで初め実践投入された。メルセデスは4台のW125をこのグランプリ出走させ、その内一台乗るドイツヘルマン・ラング自身にとってのグランプリ初優勝飾った。この優勝メルセデスW125にとってのデビューウィンでもあったが、同時に1936年5月以来初めメルセデスアウトウニオンマシン破って挙げた勝利だった。トリポリグランプリでの勝利の後、W125はドイツアヴス行われたレース出走した2つのコーナーによって繋がれる約6マイル (10 km)の 長い2本のストレートというアヴス・サーキットコースレイアウトレーシングカーがその最高速度達することを可能にしていた。メルセデスはこのレースに2台のW125を出走させたが内1台は高い最高速可能にする流線型ボディーマシン(ストリームライナー)であり、リチャード・シーマン乗るもう1台のW125は通常のボディーストリームライナー仕様問題発生した場合予備という位置付けだった。ストリームライナー仕様通常のW125と比べて25 km/h (16 mph)も速い最高時速達することができた。決勝レースストリームライナーのW125はトップ走行中の3週目にギアボックス故障リタイアしシーマンのW125が5位でフィニッシュした。 ニュルブルクリンク行われたアイフェルレンネンには5台のW125が出走したクリスチャン・カウツ乗る1台には新し吸引式キャブレターのスーパーチャージャー・システムが搭載されており、この車両は9位でレース終えたチームメイトルドルフ・カラツィオラマンフレート・フォン・ブラウヒッチュそれぞれ2位3位フィニッシュした。その後2週間内で行われる2つのビッグレースに向けてメルセデスチーム2つ分けて両方レース参加することを選んだ。2台(内1台はカウツ車で使われ吸引式キャブレターのスーパーチャージャー・システムを搭載)のW125がアメリカで行われるヴァンダービルト・カップに出走し、3台がこの年ヨーロッパ選手権初戦となるベルギーグランプリ出走したリチャード・シーマンがヴァンダービルト・カップで2位入りベルギーグランプリ参加したW125は3位と4位でフィニッシュした。新開発のスーパーチャージャー・システムを搭載したシーマンのW125が好成績残したことを受けて、このスーパーチャージャー・システムが他の全てのW125に搭載されることが決定された。 その後行われた2つレースはいずれヨーロッパ選手権対象となるグランプリだったが、特に次戦のドイツグランプリメルセデスとそのライバルアウトウニオンにとって地元でのグランプリだった。ドイツグランプリではカラツィオラがこの年の初勝利を挙げ、ブラウヒッチュも2位入りメルセデス大きな勝利を収めた。続くモナコグランプリではブラヒッチュが優勝、カラツィオラが2位となり、3台目のW125に乗るカウツ3位フィニッシュした。 次にメルセデス・チームはイタリアで行われるヨーロッパ選手権外のコッパ・アチェルボ(英語版)に参加したシーマンプラクティス走行中にクラッシュして車を大破させたため、ブラウヒッチュとカラツィオラのみがスターティンググリッド並んだシーマンレース途中でカラツィオラと交代してマシン乗り込みエンジントラブル有りながらも5位でフィニッシュした。一方のブラウヒッチュは2位レース終えた。続くスイスグランプリヨーロッパ選手権の残る2戦の内の一戦だったが、メルセデスW125はモナコグランプリでの成功繰り返し、カラツィオラが優勝ラング2位、ブラウヒッチュが3位入り再び1位から3位独占した1937年ヨーロッパ選手権最終戦イタリアグランプリはリヴォルノ・サーキットで行われた。このレースではカラツィオラがラングを僅か0.4秒の差で抑えて優勝しこの年ヨーロッパチャンピオン輝いた。ブラウヒッチュはリタイア終わりポイントランキング2位になったカウツラングそれぞれ選手権3位と4位になったことでメルセデスドライバーポイントランキングの1位から4位を独占するという結果になった。 W125はシーズン終盤2つ非選手権グランプリ出走したその1つはチェコスロバキア行われたマサリク・グランプリだったが、このグランプリでカラツィオラが挙げた勝利がW125にとって最後優勝となった。このレースではブラウヒッチュが2位シーマン3位フィニッシュした。しかし5週目にラングのW125がクラッシュして観客の列に突っ込み2人死者12負傷者出したことで勝利喜び損なわれた。W125にとっての最後のレースとなったドニントングランプリではアウトウニオンのローゼマイヤーが独走優勝し、ブラウヒッチュが2位、カラツィオラが3位入ったものの、他に出走した2台のW125はトラブルリタイア終わった一方で地元イギリスERAマシン競争力無く完走扱いになるレース距離走り切ることができなかった。

※この「グランプリでの戦績」の解説は、「メルセデス・ベンツ・W125」の解説の一部です。
「グランプリでの戦績」を含む「メルセデス・ベンツ・W125」の記事については、「メルセデス・ベンツ・W125」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「グランプリでの戦績」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「グランプリでの戦績」の関連用語

グランプリでの戦績のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



グランプリでの戦績のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのメルセデス・ベンツ・W125 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS