グランプリコース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 05:40 UTC 版)
「モンツァ・サーキット」の記事における「グランプリコース」の解説
現在のグランプリコースは1955年に改修された5.750kmのロードコースを原型としている。3つのシケインが設置される以前は、各マシンがスリップストリームを利用しあいながら団子状態で走行し、僅差でゴールするというシーンが多く見られた。前述の1971年イタリアGPは1、2位の差が0.01秒、1~5位が0.61秒差以内というF1史に残る大接戦だった。 ホームストレートは全長1,120mあり、F1開催サーキットの中では上海とヤス・マリーナに次いで3番目に長い。旧バンクコースのストレート部分が重なるのでコース幅も広いが、ピット出口付近から第1シケインに向けて狭くなっていくため、スタート直後の密集状態では接触事故が起こりやすい。1978年イタリアGPでは多重接触事故が起こり、その怪我がもとでロニー・ピーターソンが死亡した。 第1シケインのバリアンテ・レティフィーロは、左・右・左・右と細かく切り返すダブルシケインだったが、2000年より再舗装を施した上で右・左の1個のシケインに簡略化された。2010年には2輪用に2コーナー内側をショートカットさせる形で緩いシケインが設置された。4輪は従来どおりのレイアウトとなる。 緩い右カーブのクルヴァ・グランデを加速し、第2シケインのバリアンテ・ロッジアへの飛び込みはオーバーテイクポイントとなる。ここは入口・出口の縁石にマシンを乗り上げて通過する。続くレズモはふたつのターンが連続する高速複合コーナーだったが、アウト側のエスケープゾーンが狭いため、通過速度を落とすよう変更された。 旧バンク立体交差下を通過し、3つのシケインの中では最も速いバリアンテ・アスカリへ。名称は1955年にアルベルト・アスカリがここで事故死したことに由来する。バックストレートから減速し、最終コーナーのクルーヴァ・アルボレート(旧名「パラボリカ」2021年F1イタリアGPの2日目に式典が開催され正式に名称が変更された)にアプローチする。ここはコース幅を目一杯に使い、アウト側の白線に沿って加速しながらホームストレートへと戻る。 通常ピットレーン入口は減速を促すため小さく回り込んだり、クランクを設けたりしているが、モンツァの場合はクルーヴァ・アルボレートからピットまでが直線的に繋がっている。F1でピットレーン速度制限が行われる以前は、タイヤ交換時に全速力でピットロードに飛び込む光景が多く見られた。なお、最終コーナーのクルーヴァ・アルボレートの背景や各シケインの周辺には以前、スポンサーの巨大な看板が数多く掲げられていて、モンツァの名物の1つであった。 1996年のイタリアGPではシケインの縁石にタイヤを積んだコーナーマーカーが設置されたが、これに接触してダメージを受けるマシンが続出。トップ走行中のデイモン・ヒルも第1シケインのマーカーにぶつかってリタイアする波乱の展開となり、翌年から撤去された。
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