クハ1201形の種車について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/10 23:24 UTC 版)
「近江鉄道モハ131形電車」の記事における「クハ1201形の種車について」の解説
クハ1201形(初代)のうち、従来在籍した木造客車の改造名義で竣功したクハ1205 - 1212の種車対照は以下の通りである。 名義上の種車車体流用元竣功年月 名義上の種車車体流用元竣功年月クハ1205フホハ27 西武クハ1257 1956年1月 クハ1209フホハユニ31 西武クハ1254 1956年1月 クハ1206フホハ28 西武クハ1259 クハ1210フホハニ32 西武クハ1252 クハ1207フホハ29 西武クハ1260 クハ1211フホハニ33 西武クハ1255 クハ1208フホハユニ30 西武クハ1258 クハ1212フホハ26 西武クハ1203II 1957年3月 種車となった8両の客車のうち、フホハ26・27を除く6両はいずれも近江鉄道が開業および路線延長に際して1897年(明治30年)と1900年(明治33年)の二度にわたって新製した2軸木造客車を前身とし、1913年(大正2年)9月5日付認可で「い1・2」「は1 - 10」の12両を種車として2両分の台枠を接合し4軸ボギー客車6両(フホハ28・29、フホハユニ30・31、フホハニ32・33)へ改造した客車群である。一方フホハ26・27は1914年(大正3年)10月6日付認可により加藤車両製作所において改造後の同6両と同等の木造車体を新製した純新車であった。 以上8両の4軸ボギー木造客車は、1928年(昭和3年)4月の全線電化完成後は用途を失い、一旦全車とも運用を離脱したが、1930年(昭和5年)10月以降に電車の増結用車両として順次運用に復帰した。戦後、木製台枠を用いるフホハニ32・33および木鋼併用台枠を用いるフホハ28・29・フホハユニ30・31の6両に対して廃車となった貨車の解体発生品である鋼材を転用して台枠補強が実施されるなど手を加えられつつ運用されたが、前述の通り電動車・制御車の組み合わせによる運行に全面的に改める方針が策定されたことに伴って、フホハ27 - 29・フホハユニ30・31・フホハニ32・33の7両が1956年(昭和31年)1月19日付認可により西武クハ1251形の車体を流用してクハ1205 - 1211(クハ1210は初代)へ改造され、旧車体は廃棄された。同7両は導入当初は付随車ハ1205 - 1211という記号番号が付与されたが、これらは書類上の扱いに過ぎず、現車はいずれも当初から制御車として落成した。 フホハ26については状態が比較的良好であったことから改造対象から外れ、1956年(昭和31年)7月に未認可のまま制御車化改造を実施しクハ1212と記号番号を改めて継続使用されたが、1957年(昭和32年)3月に西武クハ1203(2代・旧番クハ1253)の車体を流用して更新され、旧車体は廃棄された。書類上の扱いは車体換装時に制御車化改造を実施したこととされ、1957年(昭和32年)4月21日付認可で竣功したクハ1212の名義上の種車は「クハ1212」ではなく「フホハ26」となっている。
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