キリスト教旧約聖書におけるアダム
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「アダム」の記事における「キリスト教旧約聖書におけるアダム」の解説
『創世記』には、創造に関する2つの話が収められている。歴史学者や言語学者は、これはヤハウェ・エロヒム(以下ヤハウェという)信仰者によるものとエロヒムを信仰する司祭によるものの2種類の出典からきているためだと信じている。 紀元前5-6世紀ごろに成立したと見られる司祭による出典によると、エロヒムは全ての生き物と人間を天地創造の最終日6日目に創造したとされる。エロヒムは全ての生物を創造した最後に自分達の姿に似せて男と女を創って彼らが多くを得られるように祈り、「海の魚、空の鳥、家畜、地の全ての獣・這うものを治める者」になるように任じた。 紀元前10世紀ごろに成立したと見られるヤハウェ信仰者による出典によると、ヤハウェは地が乾きなにも生えていないころに最初にアダムを創造したとされる。ヤハウェは地面の土(アダマ)を使ってアダムの形を作り、鼻の穴からルーアハを吹き込んだ。ヤハウェはアダムをエデンの園(中央に知恵の樹と生命の樹を生やした)に置き、ここにある全ての樹の実を食べても良いが、エデンの園の「善悪の知識の木」の実だけは食べると死ぬので決して食べてはならないと命令を下した。 ヤハウェはその後、「人間が一人だけではよくない」と考え、野の獣と空の鳥を創造し集めてアダムにそれぞれの名前を付けさせた。しかしアダムと暮らすにふさわしいものがいなかったので、ヤハウェはアダムを眠らせ肋骨を一本取って、その肋骨からイシャー(女)を作った。この女はハヴァ(חַוָּה、ヘブライ語)(以下聖書の項ではイヴ)という名前で記述される。 その後、ヘビ(後に『ヨハネの黙示録』 12:9でサタンとされた。また、ユダヤ教の伝説では正体はリヴァイアサンという説もある)にいわれてイヴが、そのイヴに言われてアダムがヤハウェの命令に背いて「善悪の知識の木」の実を食べてしまった。その結果、2人は直ちに自分たちが裸であることに気づき、体をイチジクの葉で隠した。度々議論の対象になるが、このときに、アダムに髭が生えたと言われている。詩人バイロンによれば髭は罪のしるしである。そしてヤハウェがエデンの園を歩いていると、アダムとイヴが隠れるのが見えた。神が何をしているのか尋ねると、アダムは自分が裸であるために恐れて身を隠したと答えた。ヤハウェが「善悪の知識の木」の実を食べたのかと尋ねると、アダムは、イヴがそれをくれたので食べたと答えた。この出来事はアダムが犯した最初の罪である。ヤハウェは、アダムとイヴが生命の樹の実を食べて永遠の命を得ることがないよう、二人をエデンの園から追放した。 楽園を追放されて初めて、アダムは自分たちの食糧を得るために働き始めた。アダムとイヴは沢山の子をもうけたが、『創世記』にはその内3人の名前だけが記されている。カイン、アベルとセトである。『ヨベル書』ではさらに、セトの妻となったアズラ、カインの妻となったアワンという娘2人の名前も記録されている。『創世記』によるとアダムは930歳で死んだ。 17世紀のアイルランド大主教ジェームズ・アッシャーらの計算によると、アダムは9代目の子孫であるノアが生まれる前に127歳で死んだとされる。これによれば、アダムの生涯はノアの父レメクと少なくとも50年間は重なっていたことになる。また、アダムはゴーレムと同様に土の人形に生命の息吹を吹き込まれて生まれたので、アダムこそが世界で最初の、それも「自我を持ったゴーレム」であったのではないかと言われている。 『ヨシュア記』によると、イスラエルの失われた10支族がカナンに入るためにヨルダン川を越えた時代には、洪水の水が乾いたアダムシティの位置は、まだ知られていたらしい。 アダムはカトリック教会、正教会の典礼にも登場する。 アダムは死後ゴルゴタの丘に葬られたという伝承があり、それを表すものとして、キリストの磔刑図には彼が架けられた十字架の根本に髑髏を描くことが多い。
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