ガレノスの生理学的な理論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 17:58 UTC 版)
「外送理論」の記事における「ガレノスの生理学的な理論」の解説
ガレノスは、『身体諸部分の用途について』や『プラトンとヒッパルコスの学説』で眼の構造論や視覚論を展開している。 彼は、エラシストラトスやヘロフィロスなどのアレクサンドリアの医学の伝統に依拠し、自らの研究を加え、脳および神経の知覚における役割の解明に大きく貢献した。理論化の際に用いられたのは、論争相手のストア派に由来する「プネウマ」であった。視覚論もまた、プラトンおよびストア派の外送理論を融合して修正したものである。ただし、精神の中枢を心臓においたストア派やアリストテレスと異なり、ガレノスは脳に知覚と思考の中枢を置いた。また、『プラトンとヒッパルコスの学説』では、アリストテレスの視覚論を厳しく批判している。 ガレノスは眼を脳の延長と見做し、またプネウマによって変質された空気を眼の延長と見做した。像を受け取る役割をするのは水晶体だとし、プネウマの放出の源を眼球の中央に置き、水晶体を視覚の中枢とした。網膜は、水晶体の縁にまで伸びており、水晶体が受け取った像を視神経に伝えるとした。これらを支配する役割を左右の視神経が交わる視交叉に求めている。 他の外送論者や原子論者がしばしば角膜を重視したのに対して、水晶体を重視したのは白内障が視覚に及ぼす影響を根拠にしている。当時は、白内障は角膜と水晶体の間に生ずると思われており、これを(実際は水晶体を)針でずらす治療法が近代初期に至るまで用いられた。この施術に基づいた知識から、水晶体は現在よりも奥にあると思われていた。 視覚論に本格的な解剖学や生理学を導入したのは、ガレノスの功績である。それ以前も眼の構造に触れられることはあったが、例えば「湿っており透明」などの簡単な描写があるだけで、眼の構成要素が詳しく記述されることはなく、神経系の構造や働きが論じられることもなかった。 ガレノスは眼の構造を詳しく論じたが、しかし、その構造と視覚の仕組みの関係はさほど密には関連しなかった。眼の構造の詳細の知識が本格的に用いられるのは、光の流入で視覚を説明し、眼の中での像の形成を論じる必要が出てきてからである。 彼の視覚論は、他にない解剖学的・生理学的な詳細を伴っていたこともあり、特に医学者からは支持を受けやすかった。中世後期~ルネッサンス期の欧州のガレノス派の医師たちは、ガレノスの視覚論でアリストテレス派と対峙し、また両者の理論を折衷させた。『身体諸部分の用途について』の簡単な幾何学的な理論は医師たちの視野を広げ、眼の構造や機能の議論に関与するきっかけを与えた。 幾何学的な理論については、「難解過ぎて読者の興味を損なう」として積極的にはふれなかったが、『身体諸部分の用途について』第10巻において、簡単な視線論の紹介ののち、両眼視の問題、すなわち、右目と左目で見ているにもかかわらず、なぜ一つの統一した像が得られるのかという問いについて幾何学を援用した考察をおこなっている。ガレノスは、自らの外送理論に幾何学者の分析を取り込んではいるが、両者の視覚論の相違はあまり埋められているとはいえない。
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