オリンピックにおけるアマチュアリズム
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「アマチュアリズム」の記事における「オリンピックにおけるアマチュアリズム」の解説
ジム・ソープ事件 初期のオリンピックにおけるアマチュアリズムに関わる事件としては、アメリカの陸上競技選手だったジム・ソープのケースが挙げられる。1912年のストックホルムオリンピックの十種競技と五種競技の金メダリストとなったソープは、野球のマイナーリーグでのプレー歴があった(詳細はソープの項目を参照)ことが大会終了後明るみに出たため、翌1913年に金メダル剥奪・記録抹消という厳しい処分を受けた。69年後の1982年にIOCはソープの復権を決定し、金メダリストとして認定された。ソープの死去から29年後のことである。 休業補償問題 労働者階級の選手が大会に出場する場合、その間の賃金を補償すべきかどうかという点が、早い時期から問題になっていた。この件に関し、国際サッカー連盟はそうした補償を行った選手もアマチュアであると認定したが、IOCはこれを認めず、それが原因で1932年のロサンゼルスオリンピックにおいてはサッカーが実施されないという事態を招いた。IOCは長い議論の末に1962年の憲章改正で、オリンピックの参加選手に対する休業補償を認めるに至ったが、これは同時にプロ容認への第一歩でもあった。 アマチュア規定の削除 第5代IOC会長(1952-72年)を務めたアベリー・ブランデージは、原理主義的なアマチュアリズムを唱え、「ミスター・アマチュア(リズム)」と呼ばれた。しかし、彼の在任中にスポーツを取り巻く環境は大きく変わり、アマチュアリズムとの乖離が進行した。特に、ヘルシンキオリンピックにおいて、ソ連をはじめとする東欧の社会主義諸国は、国家による出場者の選抜と専門的なトレーニングを施しており、「ステート・アマ」と呼ばれるようになる。また、上記の休業補償を認めたことから、西側の選手も日常的にスポーツしか行っていない者が多くを占めるようになり、1971年のIOC総会ではミュンヘンオリンピックの組織委員長から、すべての国の選手が「ステート・アマ」化しているという質問状が提出されるに至った。 一方、ブランデージはアマチュアリズムの維持にこだわり、アルペンスキーを中心に、用具メーカーからの供与とその実質的な宣伝を選手が行っていた冬季大会を批判し、冬季オリンピックは将来廃止されるべきであると主張していた。そして、IOCは札幌オリンピックの際に、オーストリアのアルペンスキー選手であるカール・シュランツに対して、「名前や写真を広告に使わせた」という理由でアマチュア資格違反とみなし、開会式の前に選手村から追放する処分を行った。 その後、IOC会長が6代目のキラニン男爵マイケル・モリスに交代し、1974年のIOC総会でオリンピック憲章からアマチュア規定が削除された。
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