オリンピックにおける初のスポーツ医学チーム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 15:09 UTC 版)
「スポーツ医学」の記事における「オリンピックにおける初のスポーツ医学チーム」の解説
カナダのオンタリオ州、ロンドンで活動していたJ・C・ケネディーは、1968年メキシコシティーでの夏季オリンピックで彼の娘ルイーズが泳いでいるのを観ていたとき、さまざまな理由により、出場するカナダの選手団は適正な資格を持ち十分に組織化された医療団を伴っているべきだという結論に至った。この信念が、彼をカナダスポーツ医学アカデミーの設立へと導いた。この団体の主な役割の一つは、カナダのスポーツ選手に専門的なケアを提供することであった。そうして1972年に彼は1972年ミュンヘンオリンピックにおいて世界初の「真の」医療チームの主席医療幹事に任命された。他の諸国もこの例に倣い、オリンピック選手に医療チームを付けた。ケネディーのビジョンは、世界を旅するカナダの選手に限られてはいなかった。スポーツ医学を行う病院がカナダにまだ無かった当時、彼は大学当局を説得し、元レスリング練習室をスポーツ傷害クリニックに改装し、1972年に正式にオープンした。カナダで最初のノーチラスの装備は、このクリニックの装備のために集められた資金で購われた。ケネディーはスポーツ医学の研究への関心を高めてもらうよう活動し、ウェスタンオンタリオ大学とオンタリオのロンドンは、スポーツ医学で知られることとなった。
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