オリンピックと引退後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 23:14 UTC 版)
「ラリー・バード」の記事における「オリンピックと引退後」の解説
1992年のバルセロナオリンピックでプロスポーツ選手が初めて参加を認められると、バードは米国男子代表チームメンバーへの招請を受けた。バードの背中はシーズン中からひどい状態だったので参加に難色を示したものの、現役時代にはライバルだったマジック・ジョンソンをはじめセルティックス関係者などから熱心な説得を受け、バードは五輪出場を決意した。 ドリームチームと呼ばれた米国男子代表にはバードやマジック・ジョンソンのほかマイケル・ジョーダンなど歴史的にも屈指の選手を含み、NBAのスター選手からなる代表は鳴り物入りで国際的なデビューを果たした。ドリームチームは各国に大差で勝利し、米国は金メダルを受賞した。 バードは満足にプレイできる状態ではなかったため、練習やオリンピック本戦でもプレイ時間は限られていた。試合中にはベンチ際で背中のマッサージを受ける姿も見られたが、要所で出場し優勝に貢献した。また、大陸予選において最初と最後に得点したのはバードであった。 オリンピックが終了した後の1992年8月、バードは引退を表明した。引退後の数年間はセルティックスのフロントでスカウトや人事関係の助言などの仕事をした。選手採用を巡りチーム上層部と対立することがあり、フロント側との行き違いから以前チームメートだったM.L.カーとの関係が悪化したことがあった。 バードがセルティックスから課せられた業務はそれほどはなく、引退後の多くの時間を家族とともにフロリダ州でゴルフや釣りなどをしながら引退生活を送った。マイケル・ジョーダン主演の映画『スペース・ジャム』に出演したのはこの時期だった。
※この「オリンピックと引退後」の解説は、「ラリー・バード」の解説の一部です。
「オリンピックと引退後」を含む「ラリー・バード」の記事については、「ラリー・バード」の概要を参照ください。
- オリンピックと引退後のページへのリンク