エア、および西セム文化における神々
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 05:01 UTC 版)
「エンキ」の記事における「エア、および西セム文化における神々」の解説
1964年、 ローマ・ラ・サピエンツァ大学のパウロ・マッティエ(Paolo Matthiae)に率いられたイタリアの考古学者のチームが、紀元前3千年紀の都市エブラの一連の発掘調査を行った。大量の文書資料が発掘され、後にジョバンニ・ペティナート(Giovanni Pettinato)博士によって翻訳された。その中で、彼はエブラの人々がカナン神話の主神エールの名(「ミカエル」(Mika"el")などの名前の中に見られる。)を「イア(Ia)」に置き換えて呼ぶ(先の例では「ミキヤ」(Mik"iah"))傾向があることを発見した。 フランスの歴史学者ジャン・ボッテロ(Jean Bottéro)その他多数の人々は、このケースのような語尾の「イア」("Ia")は、エア("Ea")つまりエンキのアッカド語の名を西セム語的に発音したものである、との意見をもっている。語尾の「イア」はセム語族の衰退とともに見られなくなっていった。この中で神イアフ("Iahu")も消えていったが、これは後に変化して旧約聖書中の神ヤハウェ(Yahweh)となった可能性がある。また、イアは、語源の少なくとも一つ以上がヤウ(Yaw)もしくはヤア(Ya'a)であったことからも、ウガリット語においてはヤム(Yamm:「海」、もしくはナハールの審判者(Judge Nahar)、もしくは川の審判者(Judge River))に相当すると考える向きもある。エア・ヤムともに水の神であり、「嵐の」神と呼ばれることもあった。「エア」の方は創造者・地下から来る甘い恵みの水の神であり、関連する「エンキ」は土地そのものを肥沃にする役割を担っていたことには留意が必要である。 一方で、ヤムは、塩水の神であることに加え、船を沈め都市を洪水で呑み込む嵐の神であり、一般的には争いを避ける性質をもつエアに比べ、より凶暴な性質をもっているといえる。実際メソポタミアにおいては、古代のペルシア湾の海岸線沿いにある(現在は内陸となっている)港湾都市であった、最盛期の古代都市ウルにおいては、最も神聖な寺院は、真水のもつ生命を与える本性に常に捧げられていた。それは、塩分を含む海水のもつ、生命を脅かす性質とは相対するものと位置づけられていた。また、淡水の主エアは、嵐の神であり兄弟神であるエンリルの敵対者として位置づけられている。エンリルは、西セム文化における嵐の神であり、天の王・天と地との創造者であるバアルおよびハダド(Hadad)に相当するとみなされている。商人として知られていたカナン人の間では、ヤムは船員にとって重要な神であったが、西セム文化の神話においてはヤムと常に敵対する存在であった、バアルおよびハダドと比較したときには、その存在感はやや劣るものであった。
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