インディアンに対する同化政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 07:32 UTC 版)
「トーマス・ジェファーソン」の記事における「インディアンに対する同化政策」の解説
合衆国とインディアンとの国家間条約の第一号は1778年に、デラウェア族が合衆国独立に味方したとして、デラウェラ族を中心としたインディアン国家の組織を連邦認定するというものだった。ジェファーソンはインディアンとの連邦条約を積極的に行い、条約と込みになった保留地制度を推し進めた。「保留地」(Reservation)とは、将来すべての土地が合衆国のものとなるまで、内務省がインディアンのために「特別に取っておいた(Reserve)土地」のことで、インディアン部族に領土を与えることで、西方の白人のいない土地に移住させてしまうというものである。彼らが領土としている土地は白人入植者にとっては魅力的な肥沃な地であることが多く、植民地拡大のためにはインディアンたちにそこを立ち退かせ、「年金(食糧)と引き換えに遠方の保留地に定住させる」というこの計画は理想的解決法と見られた。 ジェファーソンの計画は、すべてのインディアンと条約を結び、「国家」として保留地に定住させ、その独自の文化、宗教および生活習慣を捨てさせて、合衆国が監督する「部族政府」を設立させ、白人文化、キリスト教、および定住農耕生活を強制するという同化政策だった。この計画が完了するには、「1000年はかかるだろう」とジェファーソンは予測した。しかし現実にはインディアンとの条約締結は1868年で終了した。拡大する白人の入植は、ジェファーソンの予想よりもはるかに早くすさまじいものだった。 ジェファーソンの予測では、狩猟採集生活を送るインディアン達を農耕民として白人と同化させれば、彼らは白人との交易に経済的に依存するようになり、広大な領土は必要なくなり、商品との交易あるいは未払いの負債を返すために土地を手放すようになるだろうというものだった。 1803年、ジェファーソンはウィリアム・ヘンリー・ハリソンに宛てた手紙に次のように書き記している。 彼らは手放してもよいが、我々はどうしても欲しい「土地」と、我々は手放してもいいが彼らが欲しいというものを交換するというこの計画を促進するために、我々は「交易」を推し進めるだろう。そして、彼らがその交易品のおかげで借金が出来た時、彼らの中でも影響力のある個人がその借金で右往左往するのを見て喜ぶことになるだろう。何故なら我々は、その個人がこれらの借金を返せず、これを棒引きにするために土地を譲渡せざるをえなくなるのを見守ることになるからだ。...こうすれば我々の植民地は、次第にインディアンたちを取り囲み接近していくことになり、彼らは時が来れば合衆国の市民として取り込まれるか、もしくはミシシッピ川の向こう側に移住するということになる。前者は確かに彼らにとって最も幸福だった歴史の終わりである。しかし、この手順では、彼らの愛情を育むことが欠かせない。おそらく我々の強大さに対する弱さを彼らは怖れているだろうから、我々は彼らを叩き潰す手を止めているだけなのだということを、彼らは分からねばならない。それに我々の彼らに対する寛大さの全ては、純粋に人道的な動機から出ていることを分からせばならない。もし如何なるときにも彼ら部族が向こう見ずに「手斧 (the hatchet)」を振り上げるならば、和平の唯一の条件として、その部族の土地を全て取り上げミシシッピ川の向こうに追い遣ることが他の部族への見せしめになり、最終的な統合に向かうことになるだろう。
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