イチ・メーターとファン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 15:04 UTC 版)
マリナーズ時代、セーフコ・フィールドの右翼席最前列には、イチローの年間安打数をカウントする「ICHI - METER(イチ・メーター)」という手作りの紙ボードを掲げるファンがいた。掲げていたのはエイミー・フランツという女性ファンの一家で、1996年から毎年シーズンチケットを購入している熱心なマリナーズファンだという。イチ・メーターという名前の由来は「イチロー」と「メーター(測定機)」を掛け合わせたものであり、シアトルの野球ファンの間では有名である。 安打数のカウントは、イチローが最多安打記録を達成した2004年シーズンから開始された。262安打をカウントした初代イチ・メーターはアメリカ野球殿堂に寄贈されており、2012年までのイチ・メーターは二代目である。 イチローのヤンキース移籍直後の、2012年7月23日のセーフコ・フィールドでのマリナーズ戦にもイチ・メーターを持参しており、イチローが試合前に感謝の意を込めてボードにサインをしている。イチローはこの年の11月に、サインを入れたマリナーズ時代のバットやスパイクと共に、感謝の気持ちを綴った手紙を贈った。 2013年8月にはエイミーがイチローのNPB/MLB通算4000安打をカウントするためニューヨークまで駆けつけ、達成の瞬間を見届けた。その年のオフ、エイミーの元にイチローからメッセージカードと4000安打達成時に着用していたリストバンドが届いた。メッセージカードには「イチ・メーターが4000まで数えられるとは知りませんでした。来てくれて、ありがとう」と綴られていた。 2014年6月11日にシアトルでヤンキース戦が行われた際には、試合前にイチローがエイミーにメッセージ入りのボールを渡した。この日がエイミーの誕生日と知ったイチローからのプレゼントで、ボールには「For Amy, Happy BD!(エイミーへ、誕生日おめでとう)」と書かれていた。同時期にジョアンナ・ホールもイチローのサイン入りのボールを受け取った。彼女は大のイチローファンで、脳性麻痺などの障害があり、年に1度だけ誕生日に球場で試合観戦するのが楽しみだという。彼女の家族は、今年はジョアンナを驚かせたいと思い、手配してセーフコ・フィールドのグラウンドに彼女を連れて行った。そこで彼女は試合前のイチローと対面した。2008年には脳腫瘍を持つ日本人少女がメイク・ア・ウィッシュを通じて、イチローと対面するという願いを叶えている。 2015年5月、その年ナ・リーグのマーリンズへ移籍したイチローを応援するため、エイミーがサンフランシスコまで駆けつけた(エイミーは西部シアトル在住で、地元球団のマリナーズとマーリンズはインターリーグでも対戦の予定がないため、ナ・リーグの西部地区に本拠を置くジャイアンツとの試合を観戦。サンフランシスコにはエイミーの息子が住んでいるため親子で応援する姿が見られた)。試合前、イチローがエイミーに駆け寄り「また会えて良かった」と再会を喜んだ。 エイミーは2016年にも4月にサンフランシスコでマーリンズの試合を観戦したほか、イチローのボブルヘッド・ドール(首振り人形)が配布される5月22日に合わせて東部マイアミまで駆けつけ、イチローの応援を続けている。 2016年7月2日、2004年に年間最多安打の257安打を更新したイチローを応援するため、前記録保持者ジョージ・シスラーのアトランタ郊外に住む親戚がマーリンズ対ブレーブスの試合を観戦。イチローも笑顔でサインや写真撮影に応じた。 2016年8月7日、エイミー・フランツはイチローのMLB通算3000安打達成の瞬間に立ち会った。イチローの出場機会が定まらないため、7月15日のセントルイス遠征から毎日球場に足を運び、遠征資金が底を突いた後はネットで寄付を募って応援を続けた。 米ラジオ局「WBUR」電子版によると、イチローの3000安打達成の瞬間に立ち会うため長い旅をしたファンはエイミーだけではないという。シカゴ在住の男性ベン・ウェルズは生粋のカブスファンながら、2001年のイチローのルーキーイヤーからのファンでもあった。彼は自動車ディーラーとして朝から晩まで働いた後、夜はピザの宅配、週末は果樹園の列車を8時間運転する仕事をして旅費を貯め、17日間で16試合観戦。3000安打を見届ける旅は大変だったというが、「もう一度、あの機会がやってくるのならやるだろうね」と話した。
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