イスラーム哲学における論理学
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「論理学の歴史」の記事における「イスラーム哲学における論理学」の解説
詳細は「イスラーム哲学における論理学」を参照 「アヴィセンナ論理学」も参照 ファーラービー、イブン・スィーナー、ガザーリー、イブン・ルシュドその他のイスラーム論理学者の著作はアリストテレス論理学を批判的に発展させており、古代の思想と中世の西洋思想の間を取り持った点で重要視されてきた。ファーラービー(873年–950年)はアリストテレス論理学者で、未来の不確定性、範疇の数と範疇間の関係、論理学と文法学の関係、非アリストテレス的な推論形式といった話題について議論した。ファーラービーはまた仮言三段論法や類推の理論についても考えているが、古代においてはこれらはアリストテレスよりもむしろストア派論理学の領分であった。 イブン・スィーナー(アウィケンナ、アヴィセンナ、980年–1037年)はアヴィセンナ論理学の創始者である。アヴィセンナ論理学はイスラーム世界の論理学における主導的な体系としての地位をアリストテレス論理学から奪い、さらにアルベルトゥス・マグヌスのような中世西欧の著述家に甚大な影響を与えた。イブン・スィーナーは仮言三段論法および命題論理に関する著作を残しているが、どちらもストア派論理学の領域である。彼は「時相的に様相化された」三段論法という独自理論を発展させ、科学的方法に対して批判的な、一致法、差異法、共変法といった帰納論理を利用した。イブン・スィーナーの概念のひとつは西欧の論理学者オッカムのウィリアムに特に重大な影響を及ぼした。意味あるいは観念を指すイブン・スィーナー用語「マッナ」はスコラ論理学者によって「インテンティオ」(羅: intentio)とラテン語訳された。中世の論理学・認識論において、この術語は本来は物に対応する心の中の表徴である。これはオッカムの概念論の発展にとって決定的なことであった。普遍的な名辞(例えば「人間」)は実在するあるものを表すのではなく、むしろ実在する多数のものに対応する心の中の表徴(羅:intentio in intellectu)を表す。オッカムはこの見解を支持するためにイブン・スィーナーの「『形而上学』註解」Vを引用している ファフル・アル=ディーン・アル=ラーズィー(1149年生)はアリストテレスの「第一格」を批判して原始的な帰納論理学を組織立てており、ジョン・スチュアート・ミル(1806年–1873年)による機能論理学の発展の先駆けとなっている。アル=ラーズィーの著作はポスト・アヴィセンナ論理学へ向かうイスラーム論理学の新しい流れの先鞭をつけたと後代のイスラーム学者によってみなされている。この流れは彼の弟子で概念と同意という問題に関わる論理形式を発展させたアフダラッディーン・アル=フーナジー(1249年没)によって練成された。この学派に対する応答の中で、ナスィール・アル=ディーン・アル=トゥースィー(1201年–1274年)は新アヴィセンナ論理学派を創始しており、同派はイブン・スィーナーの著作に忠実であり続け、その後数世紀の間支配的であったポスト・アヴィセンナ論理学派のライヴァルとして存在した。 ギリシア論理学に対する体系だった論駁がシャハブ・アル=ディーン・スフラワルディー(1155年–1191年)の創始した照明学派によって執筆されている。スフラワルディーは全ての様相(必然性、可能性、偶然性、不可能性)を唯一つ必然性の様相に還元してしまう「決定的必然性」の概念を発展させた。イブン・アル=ナフィス(1213年–1288年)がアヴィセンナ論理学の研究書を著しているが、それはイブン・スィーナーの『アル=イシャラト』(表徴)と『アル=ヒダヤー』(手引き)の注釈書という形で書かれている。ギリシア論理学に対するもう一つの体系的な論駁としてイブン・タイミーヤ(1263年–1328年)の『アル=ラッド・ッアラ・アル=マンティキイン』(ギリシア論理学者に対する論駁)があるが、本書では三段論法の妥当性ではなく有用性が問題視されており、帰納推論の方が好ましいものとされている。イブン・タイミーヤは三段論法の確かさにも疑問を呈しており、類比を好ましいものとした。彼の主張は、帰納に基づく概念はそれ自体として確かではなく起こりそうだというだけにすぎず、そのためそうした概念に基づいた三段論法は類比に基づいた主張と確かさにおいて変わるところがないというものであった。さらに、帰納はそれ自体類比的な過程を経て行われるのだと彼は主張した。彼の類推のモデルは法廷弁論に基づいて組み立てられていた。この類推のモデルはジョン・フロリアン・ソワ(英語版)の近年の著作で利用されてきた。 15世紀のムハンマド・イブン・ファイド・アミン・アル=シャルワーニーの『シャルー・アル=タクミル・フィル=マンティク』はアラブ人による論理学書で研究がよくなされてきたものの中では最後の著名な作品である。といっても論理学に関して「数千ページの上にさらに数千ページ」が14世紀から19世紀の間に書かれているのだが、この時期に書かれた作品のほんの一部が歴史家によって研究されているのが現状であり、そのためこの時代のイスラーム論理学書の原典はほとんど知られていない。
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