イスラーム哲学における論理学とは? わかりやすく解説

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イスラーム哲学における論理学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:46 UTC 版)

論理学の歴史」の記事における「イスラーム哲学における論理学」の解説

詳細は「イスラーム哲学における論理学」を参照アヴィセンナ論理学」も参照 ファーラービーイブン・スィーナーガザーリーイブン・ルシュドその他のイスラーム論理学者著作アリストテレス論理学批判的に発展させており、古代思想中世西洋思想の間を取り持った点で重要視されてきた。ファーラービー(873年950年)はアリストテレス論理学者で、未来不確定性範疇の数と範疇間の関係、論理学文法学の関係、非アリストテレス的な推論形式といった話題について議論したファーラービーはまた仮言三段論法類推理論についても考えているが、古代においてはこれらはアリストテレスよりもむしろストア派論理学領分であったイブン・スィーナー(アウィケンナアヴィセンナ980年1037年)はアヴィセンナ論理学創始者である。アヴィセンナ論理学イスラーム世界論理学における主導的な体系としての地位アリストテレス論理学から奪い、さらにアルベルトゥス・マグヌスのような中世西欧著述家甚大な影響与えたイブン・スィーナー仮言三段論法および命題論理に関する著作残しているが、どちらもストア派論理学領域である。彼は「時相的に様相化された」三段論法という独自理論発展させ、科学的方法に対して批判的な一致法、差異法、共変法といった帰納論理利用したイブン・スィーナー概念のひとつは西欧論理学者オッカムのウィリアムに特に重大な影響及ぼした。意味あるいは観念を指すイブン・スィーナー用語「マッナ」はスコラ論理学者によって「インテンティオ」(羅: intentio)とラテン語訳された。中世論理学認識論において、この術語は本来は物に対応する心の中表徴である。これはオッカム概念論発展にとって決定的なことであった普遍的な名辞(例え「人間」)は実在するあるものを表すのではなく、むしろ実在する多数のものに対応する心の中表徴(羅:intentio in intellectu)を表す。オッカムはこの見解支持するためにイブン・スィーナーの「『形而上学』註解」Vを引用している ファフル・アル=ディーン・アル=ラーズィー(1149年生)はアリストテレスの「第一格」を批判して原始的な帰納論理学組織立てており、ジョン・スチュアート・ミル(1806年1873年)による機能論理学発展先駆けとなっている。アル=ラーズィー著作はポスト・アヴィセンナ論理学へ向かうイスラーム論理学新し流れ先鞭をつけたと後代イスラーム学者によってみなされている。この流れ彼の弟子概念同意という問題関わる論理形式発展させたアフダラッディーン・アル=フーナジー(1249年没)によって練成された。この学派対す応答の中で、ナスィール・アル=ディーン・アル=トゥースィー(1201年1274年)は新アヴィセンナ論理学派を創始しており、同派はイブン・スィーナー著作忠実であり続けその後世紀の間支配的であったポスト・アヴィセンナ論理学派のライヴァルとして存在したギリシア論理学対す体系だった論駁がシャハブ・アル=ディーン・スフラワルディー(1155年1191年)の創始した照明学派によって執筆されている。スフラワルディー全ての様相(必然性可能性偶然性不可能性)を唯一必然性様相還元してしまう「決定的必然性」の概念発展させた。イブン・アル=ナフィス(1213年1288年)がアヴィセンナ論理学研究書著しているが、それはイブン・スィーナーの『アル=イシャラト』(表徴)と『アル=ヒダヤー』(手引き)の注釈書という形で書かれているギリシア論理学対すもう一つ体系的な論駁としてイブン・タイミーヤ(1263年1328年)の『アル=ラッド・ッアラ・アル=マンティキイン』(ギリシア論理学者対す論駁)があるが、本書では三段論法妥当性ではなく有用性問題視されており、帰納推論の方が好ましいものとされている。イブン・タイミーヤ三段論法確かさにも疑問呈しており、類比を好ましいものとした。彼の主張は、帰納に基づく概念はそれ自体として確かではなく起こりそうだというだけにすぎず、そのためそうした概念基づいた三段論法類比基づいた主張確かさにおいて変わるところがないというものであった。さらに、帰納はそれ自体類比的な過程経て行われるのだと彼は主張した彼の類推モデル法廷弁論基づいて組み立てられていた。この類推モデルはジョン・フロリアン・ソワ(英語版)の近年著作利用されてきた。 15世紀のムハンマド・イブン・ファイド・アミン・アル=シャルワーニーの『シャルー・アル=タクミル・フィル=マンティク』はアラブ人による論理学書で研究がよくなされてきたものの中では最後著名な作品である。といって論理学に関して数千ページの上にさらに数千ページ」が14世紀から19世紀の間に書かれているのだが、この時期書かれ作品のほんの一部歴史家によって研究されているのが現状であり、そのためこの時代イスラーム論理学書の原典はほとんど知られていない

※この「イスラーム哲学における論理学」の解説は、「論理学の歴史」の解説の一部です。
「イスラーム哲学における論理学」を含む「論理学の歴史」の記事については、「論理学の歴史」の概要を参照ください。

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