イギリスの領有(1763年 - 1795年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/14 17:21 UTC 版)
「スペイン領フロリダ」の記事における「イギリスの領有(1763年 - 1795年)」の解説
「イギリス領アメリカ」も参照 1763年、スペインはイギリスにフロリダを譲り、その代わりにキューバのハバナを手に入れた。当時のフロリダは南に伸びて現在のゲインズビルの辺りまでであった。ハバナはフレンチ・インディアン戦争の時にイギリスが占領していた。スペイン人の大半がこの地域を離れ、残っていた先住民も離れた。イギリスはこの領土を東フロリダと西フロリダに分割し、無償の土地を提供し輸出指向産業を後押しして、開拓者を引き付けるために積極的な新兵募集を始めた。 1767年、イギリスは西フロリダの北の境界線をそれまでの北緯31度線から、ヤズー川の河口から東にチャタフーチー川まで伸ばした線(北緯32度22分)まで拡張した。この領域は現在のミシシッピ州とアラバマ州の南側3分の1に当たる。 イギリス領である間に、クリーク族インディアンがフロリダに移住してきてセミノール族を作り上げていった。この種族はジョージアにいたクリーク族が大半であり、ミカスキー語を話す中央マスコギー語族と逃亡したアフリカ系アメリカ人奴隷(ブラック・セミノール)、および数は少ないが白人と他のインディアン種族の者がいた。フロリダの元々の先住民は戦争や病気で壊滅させられ、残った者の大半も1763年にスペイン人が植民地を離れるときに随いていったと考えられている。このことで領内の大半がローワー・クリーク族に開放され、アラバマのアッパー・クリーク族と長い間紛争を続けることになった。セミノール族は当初フロリダ北部の森林地帯に入り、最終的にはフロリダ半島南部のエバーグレーズまで広がって行った。ここには現在でもセミノール族の子孫が住んでいる。 イギリスは13植民地(1776年7月4日にアメリカ合衆国として独立)とのアメリカ独立戦争(1775年-1783年)の間もフロリダを維持し続けたが、スペインはそのときにイギリスと積極的に戦っていたフランスと同盟を結んでおり、イギリスの気が逸れている間に西フロリダの一部を占領した。1783年、アメリカ独立戦争が終わり、イギリスとスペインの間のヴェルサイユ条約で、フロリダはスペインに返された。ただし、その境界が曖昧なままであった。スペインは1767年に拡張された領土を主張したが、アメリカ合衆国はその北の地方をイギリスから割譲されており、古い境界線である北緯31度線を主張した。1795年のサン・ロレンソ条約(西: Tratado de San Lorenzo、英: Pinckney's Treaty)により、スペインは北緯31度線を境界と認めた。
※この「イギリスの領有(1763年 - 1795年)」の解説は、「スペイン領フロリダ」の解説の一部です。
「イギリスの領有(1763年 - 1795年)」を含む「スペイン領フロリダ」の記事については、「スペイン領フロリダ」の概要を参照ください。
- イギリスの領有のページへのリンク