イギリスへの反論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/27 02:47 UTC 版)
「ダートマス奇襲 (1749年)」の記事における「イギリスへの反論」の解説
ミクマク族の歴史の研究家であるダニエル・N・ポールは、この奇襲に関してのイギリス側の数字を信用していない。ポールは、ミクマク族が丸腰の木こりを襲う可能性はないとし、それどころか、木こりの方がミクマク族よりも武装していたであろうと仮定している。ポールはまた、ミクマク族が自分たちの土地を守るために軍事行動を起こすのは当然であると断言している。著書We Were Not the Savagesで、ポールはこう書いている。 ここで考えるべき問題は、なぜ「無防備な」イギリス人の一団が、戦時中であると言うのに、軍の保護もなしに森に入って木を切ったのか、なぜこのようにすきだらけだったのかという点だ。もし本当に軍が守りもしなかったのであれば、イギリスの士官たちは、大いに無能であったと思われる。この話がプロパガンダでなく事実であれば、軍が保護することもなしに木を切ったのは、無防備だったからではなく、木こりたちが、ミクマク族と同じくらいの武装で仕事に臨んでいたからだと言う、より信憑性の高い理由が必要になってくる。恐らく、木こりたちが武装していたというのは事実だろう。これは当然な話である。木こりたちには木を切るための斧がある、それだけでも立派な武器で、相手を殺すに十分である。そして恐らく、ミクマク族のほとんどの武器の大部分よりも頼りになる武器である。ミクマク族がいかなる奇襲を行ったとしても、イギリス人たちは、彼らを襲撃して土地を奪ったのだから、コーンウォリスと部下たちは、彼らの仕返しに対して、あのように無礼な態度、野蛮な反応を示すべきではなかった。自らの土地と自由を取り戻すため、ミクマク族は高い代償を払ったのである。
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