イギリスへの帰還~第二次アフリカ探検とは? わかりやすく解説

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イギリスへの帰還~第二次アフリカ探検

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 20:37 UTC 版)

デイヴィッド・リヴィングストン」の記事における「イギリスへの帰還~第二次アフリカ探検」の解説

1856年12月9日探検資金尽きたリヴィングストンは、支援者探すために16年ぶりにイギリスへの帰還果たした探検家としていくつもの重要な発見果たした功績からスコットランド英雄としてもてなされ1857年アフリカでの体験如実に記した南アフリカにおける宣教師の旅と探検Missionary Travels and Reserches in South Africa)』を著しベストセラーとなる。一方ロンドン宣教協会からは、一箇所居住せず方々探検していたことを理由除名される。翌1858年には、女王勅命によるキリマネ駐在大使ならびにザンベジ探検隊隊長任命され同年3月10日リヴィングストンは妻と息子を連れ、再びアフリカ大陸へと旅立ったケープタウンにて一行は妻の両親再会するが、妻の体調すぐれないため、リヴィングストンたちはザンベジ川河口向かい残りのものは静養もかねてクルマン向かったリヴィングストン一行5月14日河口到達し蒸気船で川を上り9月8日テテ到着シレ川マラウィ湖周辺探検した1860年にはマコロロ王国再訪し、翌年にはイングランドより派遣され宣教師団体である、大学宣教協会 (Universities Mission) の布教のためにルブマ川周辺探索し拠点設立力を貸したその間、妻はクルマンでの静養の後に一旦イギリスへ戻り1862年に夫と合流したが、3ヵ月後の4月27日、シュパンガにてマラリアのために命を落としてしまう。リヴィングストン悲嘆暮れながらも、何度もルブマ川上流への探索試みた1863年には、政府からの帰還命令を受け、翌7月23日イギリスへ帰還を果たす。重要な地理上の発見果たしたにも関わらず当時はこの探検失敗終わった考え向きがあり、その後次の探検資金調達苦労することとなった1年間休息の間、探検報告各所行いながら、1865年に、彼は2冊目の著書ザンベジ川支流(The Zambesi and Its Tributaries)』を著す。この本は発売当日に、当時としては異例の4,800部が発行されているほど注目度高かった描かれアラブ商人ポルトガル商人との間で行われている奴隷貿易、および現地人への虐待虐殺実態は、当時知識人たちを驚愕させ、奴隷商人たちへの怒り再度引き起こすこととなったのであるリヴィングストン3回目アフリカ探検に出るきっかけとなったのは、王立地理協会からのナイル川水源探求する依頼だった。ナイル川白ナイル川青ナイル川分かれており、青ナイル川はすでに水源探求完了していたが、白ナイル川に関して1860年代入ってからも、ジョン・スピークリチャード・バートンの間で、その水源ヴィクトリア湖か否か論争繰り広げられていた(この論争は、1989年アメリカ映画愛と野望のナイル』として映画化もされている)。スピーク水源自身発見したヴィクトリア湖であると1855年探検をもとに主張したが、リヴィングストンは、ヴィクトリア湖より少し南方ヴィクトリア湖流れ込む水源があると推測し1865年8月14日、再びイギリス旅立った

※この「イギリスへの帰還~第二次アフリカ探検」の解説は、「デイヴィッド・リヴィングストン」の解説の一部です。
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