アメリカ合衆国への進出とは? わかりやすく解説

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アメリカ合衆国への進出

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 01:22 UTC 版)

起立工商会社」の記事における「アメリカ合衆国への進出」の解説

1876年明治9年)、アメリカ合衆国建国100年記念して開催されフィラデルフィア万国博覧会起立工商会社として初参加する。大人数での出張となり、顔ぶれ松尾儀助若井兼三郎西尾喜三郎原口太助八戸三郎などであった佐賀出身であった八戸は、米国イェール大学卒業で、英語が堪能であったため通訳一任されていた。そのほか茶商1人醤油亀甲キッコーマン)の主人永岡善八が社員とともに渡米した。この時、松尾香蘭社製の有田焼伊万里焼)に力を入れ当時香蘭社深川栄三衛門らを応援し以後エキゾチックな異国趣味陶磁器アメリカ人の心をつかんだ博覧会と時を同じくして東洋美術殿堂称されるボストン美術館開館している。当時美術館関係者は、「博覧会コレクション増やす絶好機会であり、アメリカ芸術著し進歩に繋がることがわかるだろう」と期待表明、後にボストン美術館日本美術部長となるアーネスト・フェノロサは「日本展示驚き宝庫」と評している。 起立工商会社展示品は、当時宮内省認定した帝室技芸員選定しており、一級品展示された。博覧会効果もあり、アメリカで需要確信した社長松尾儀助は、1877年明治10年日本への帰国途中ニューヨークへ立ち寄りブロードウェイ456番地賃料年間3000ドル店舗物件仮契約帰国する帰国後すぐに同じ佐賀県出身で、旧知であった当時大蔵卿大隈重信訪ね日本国力伸ばすため、さらなる世界進出直訴すると、松尾商才一目おいていた大隈はただちに松尾要望受け入れ、その年に八戸三郎支店長据えニューヨーク支店開店するニューヨーク支店では、八戸三郎高柳陶造、原口太助西尾喜三郎小森徳之など日本人10名、時に米国人2 - 15人ほど雇用し日本織物蒔絵漆器陶磁器、絹、木綿製品銅器などの工芸品扱った1880年に卸部門発足執行弘道主任として雇われ翌年八戸急死する執行支店長任命された。執行佐賀藩出身で、大学南校東京大学前身)で学びアメリカ留学の後、外務省勤務し中国渡り三井物産香港支店支店長経て起立工商会社起用された。この時代起立工商会社異国情緒溢れ日本商品直接買える店として、ニューヨークでは目立つ存在になり、社名The First Japanese Manufacturing and Trading Company主として使い、現在でもその名は欧米ではよく知られている。 ニューヨーク支店開設については後に大隈重信が「紐育ニューヨーク日本人発展史」の序の中で、「松尾儀助氏が起立工商会社起こして日米貿易の礎を築き・・・」と記しており、日米間の貿易画期をなす快挙となった

※この「アメリカ合衆国への進出」の解説は、「起立工商会社」の解説の一部です。
「アメリカ合衆国への進出」を含む「起立工商会社」の記事については、「起立工商会社」の概要を参照ください。

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