アメリカ合衆国への移動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 04:30 UTC 版)
「ヴャチェスラーフ・イヴァニコーフ」の記事における「アメリカ合衆国への移動」の解説
1992年3月、10年近くの服役経験や、ロシアで最も凶暴で残虐な犯罪者との評価を受けつつも、アメリカ合衆国への移住が認められた。最高指導者が命令を下すコーザ・ノストラ等の暴力団とは異なり、イヴァニコーフは自ら出向いて強奪を行った。映画産業で働くという名目で、通常の就労ビザで渡米していた。 渡米の理由ははじめは明らかではなかった。ロシア内務省はアメリカ合衆国の連邦捜査局(FBI)に対して、イヴァニコフは米国におけるロシアン・マフィアの活動をまとめ、支配するために渡米したと伝えている。しかし、ノヴォイェ・ルスコイェ・スロヴォ(ru:Новое русское слово)紙の記者アレクサンドル・グラントが1994年に語ったところによると、ロシアでは「イヴァニコフの嗜好を尊重しない新しい犯罪組織」があるためにロシアは彼自身にとって危険すぎること、他方でアメリカ合衆国では犯罪活動の実績がないことが渡米の理由としている。しかし、イヴァニコーフはアメリカ合衆国で犯罪活動を始めたことから、こうした見方は正しくないことがやがて明らかになっていった。その具体的な活動については諸説あるものの、ブライトン・ビーチ(Brighton Beach)を拠点とする彼の組織は100人程度の構成員をかかえ、ブルックリン随一のロシア系犯罪組織となっていた。しかし、系統的に暴力や買収を行ったり、裏社会を牛耳ったり、組織犯罪機構を作り上げようとした証拠は存在していない。 1995年6月、2人のロシア人実業家が運営する投資顧問業者から数百万円の依頼を受けて暗殺を実行したとしてFBIに逮捕され、1996年6月には2人の協力者と共に有罪判決を受けた。 取調べの中でイヴァニコーフは、FBIがロシア部門の重要性を主張するために、ロシアン・マフィアについての虚構を作り上げているとして非難した。更に、「ロシアは休みなき犯罪の温床」であり、その中核を担う犯罪者はクレムリンとロシア連邦保安庁であり、イヴァニコーフがロシアン・マフィアと称されるものの指導者であるとする考え方をばかげているとした。
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